9月15日(日)午前10時~11時30分 主日礼拝

謝恩日礼拝 「忍耐の結末」
ヤコブ5:11 見なさい。耐え忍んだ人たちは幸いだと私たちは思います。あなたがたはヨブの忍耐のことを聞き、主によるその結末を知っています。主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられます。

旧約聖書に登場してくるヨブは、神を敬う敬虔な人でした。ところが、ある日、突然、試練に襲われます。愛する子どもたちが殺され、財産を失い、自分も訳の分からない病気にかかってしまいます。いきなり、試練の中に放り込まれたヨブに、奥さんは、「あなたは、これでもなお、自分の誠実さを堅く保とうとしているのですか。神を呪って死になさい。」(ヨブ記2:9)と、冷たく突き放します。きっと奥さんは、試練に耐えられず、自暴自棄になっていたのではないかと思います。しかし、ヨブは、それでも、「私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいも受けるべきではないか。」と言って、神を信じ続けました。

ヨブは、苦悩を味わいながらも、信仰にとどまり続けました。試練の中にあるヨブのところに、友人たちがやってきて、「試練の意味」について議論します。励ますつもりが、いつの間にか議論となって行きます。いくら正論を言われても、ヨブの心は、慰められません。しかし、実は、ヨブは、この試練を通して、神の深い憐みと大能の力を知り、すべてを神にゆだねることを学んで行ったのです。忍耐を通して、ヨブ自身が変わりました。ヨブは、自分を攻撃した友のために祈ることができるほど、心にゆとりが与えられました。

ヨブ記の結論はこうです。
42:10 ヨブがその友人たちのために祈ったとき、【主】はヨブを元どおりにされた。さらに【主】はヨブの財産をすべて、二倍にされた。
42:12 【主】はヨブの後の半生を前の半生に増して祝福された。。
42:16 この後ヨブは百四十年生き、自分の子と、その子の子たちを四代目まで見た。
42:17 こうしてヨブは死んだ。年老いて満ち足りた生涯であった。

「忍耐の結末」それは、神の慈しみ深さを知ること。それが、現実に明らかにされることです。「忍耐」とは、苦痛を我慢することではありません。聖書的に言えば、どんな状況でも、主イエスキリストを信じる信仰にとどまり続けることです。忍耐とは、受け身の姿勢で、じっと我慢することではなく、神に祈り、祈りの中で、神の慈しみを知り、神を賛美することです。神が通してくださる忍耐の学校は、その時は、辛く感じるものですが、やがて「平安の義の実」(へブル12:11)という、何者にも代え難い賜物を得ることになるのです。

☆謝恩日の礼拝です。聖餐式があります。
☆ご高齢の兄弟姉妹のために、更なる祝福を祈ります。ささやかな祝の品を用意しています。
☆礼拝献金は、引退された牧師たちの厚生資金献金となります。

☆午後1:30から、「おはなカフェ」がひらかれます。
☆齋藤マスターの美味しいコーヒーと、古舘シェフのザッハ・トルテを用意してお待ちしています。
☆楽しい聖書クイズがあります。

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9月8日(日)午前10時~11時30分 主日礼拝

「あなたの道を主にゆだねよ」
詩篇37篇1~11節

【主】に信頼し善を行え。地に住み誠実を養え。 【主】を自らの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。 あなたの道を【主】にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。 主はあなたの義を光のようにあなたの正しさを真昼のように輝かされる。 【主】の前に静まり耐え忍んで主を待て。その道が栄えている者や悪意を遂げようとする者に腹を立てるな。

私達には、ひとりびとり、神が備えたもう道(人生)があります。皆が同じ道を歩むのではなく、それぞれに相応しい道があると、聖書は、教えています。しかし、それは、あらん限りの力を振り絞って、人との競争を勝ち抜いて行くような歩みではありません。聖書は、「あなたの道を主にゆだねよ」と勧めます。「ゆだねる」とは、ヘブル語でガラルと言い「転がす」という意味を含んでいます。「背負う」とき、全ての重さは自分の肩に掛かってきますが、「転がす」とき、重さ自体は、地面が受けとめてくれます。私たちの重荷を受けとめて下さるのは、神さまです。主に信頼して、重荷を下ろすとき、神さまは、しっかりと受け止めてくださいます。私達は、転がすように、押して行けばよいのです。その方が、遥かに「楽な生き方」です。もちろん、「楽な生き方」と「怠ける」ことは違います。「地に住み誠実を養」う生き方です。

ずるいやり方をして成功しているような人を妬んだり、腹を立てたりせず、「肩の力を抜いて、神に信頼して生きる。」そうし続けるとき、神は、私達の人生を「完成」させてくださいます。どんな時も、信仰をもって歩んできたことは正しかった。ということが、明らかにされるのです。あなたの道を、主にゆだねて生きてみませんか。日々、重荷を担ってくださる主が、共に歩んでくださいます。

☆午後は、スモールグループと組会です。

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10月17日スタート! FUN FUN CHINESE 参加者募集中!

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9月23日(月・祝日)林間聖会のご案内

きよめの恵みを求めて、参加しませんか。
一応、8月25日が参加申込締切となっています。
(当日参加も大歓迎ですが、予め、お申込みいただくと感謝です)

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9月29日(日)午後1時30分~ 子育てセミナー「いのち」と「愛」に着目する子育て

少し先になりますが、子育てセミナーを開催します。
講師の岡本先生は、幼児教育の専門家であると同時に、これまで多くの子育ての悩みの相談にのって来られました。
この度、いのちのことば社から、本を出版されました。
質疑応答の時間も設けますので、ぜひ、ご予定にお加え頂ければ幸いです。

PDFはこちらからダウンロードできます。
子育てセミナー201909

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8月25日(日)午前10時~11時30分 主日礼拝

「しっかりしなさい。
あなたの罪は赦された」
マタイ 9:1~8

すると見よ。人々が中風の人を床に寝かせたまま、みもとに運んで来た。イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に「子よ、しっかりしなさい。あなたの罪は赦された」と言われた。(マタイ9:2)

イエスは「彼らの信仰を見て」とあります。「彼ら」とは、誰でしょうか。中風の人を。イエス様の所に連れて来た人たちと、中風の人本人も含まれていると思います。誰かが救われるとき、イエス様を信じた人、本人の信仰が大事なことは、言うまでもありません。しかし、一人の人が救いに与るためには、多くの人の助けがあってのことです。実際に連れて来てくれた人、背後で祈ってくれていた人、サルベーション・チームの信仰によって、彼は、救われたのです。これは、現代の私達にも当てはまると思います。多くの人の助け、祈り、信仰によって、救われたのです。

「しっかりしなさい。あなたの罪は赦された。」とイエス様は、云われました。救われてからの歩みが、大事です。イエスさまさを信じて救われた者として、確かな歩みをしてゆきましょう。主は、私達の人生を変えることができます。「起きて床を取り上げて歩く」と言うのは、確かに素晴らしい奇跡ですが、「罪赦されて、きよく変えられた人生を歩む」方が、もっと大きな奇跡です。イエス様は、私達の人生を「確かな歩み」へと変えてくださいます。

☆洗礼式を予定しています。

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8月18日(日)午前10時~11時30分 主日礼拝

「新しい希望と力と使命」
Ⅱコリント5章全

『だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。』(17節)

罪を悔い改めて、イエスさまを救い主として信じた人は、神によって「新しく」され、日々、御霊によって新しくされ続けて行きます。キリストによって「新しく造られた者」は、以前の人生とは、「希望」「原動力」「使命」が全く違って来ます。御霊によって、内なる人が日々新しくされ、更新され続けて行くのです。

1,新しい希望・・・「 たとえ私たちの地上の住まいである幕屋が壊れても、私たちには天に、神が下さる建物、人の手によらない永遠の住まいがあることを、私たちは知っています。」(1節)キリスト者は、神のくださる「永遠のすまい」という新しい希望を持つようになりました。この保証として御霊が与えられています。

2,新しい力・・・「キリストの愛が私たちを捕らえているからです。」(14節)全ての人の為にいのちを捨てられたキリストの愛が、キリスト者の生きる力、原動力になりました。愛の乏しい者に、御霊によって、神の愛(アガペーの愛)が心に注がれて来ます。

3,新しい使命・・・「和解の務めを私たちに与えてくださいました。」(18節)十字架による贖いを成し遂げてくださった主イエス様は、今度は、私達に新しい使命を与えてくださいました。それは「和解の務め」です。キリストの使節として、神と和解するようにと、聖書の「和解のことば」を委ねられています。私達は、全ての人の良心に、キリストの救いが明らかにされるよう祈り続ける「和解の使者」なのです。

☞キリストにある「新しく造られた者」として、信仰を新たに、歩んで行きましょう。

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8月11日(日)午前10時~11時30分 主日礼拝

「平和のために祈れ」 詩篇122篇

エルサレムの平和のために祈れ。「あなたを愛する人々が安らかであるように。 あなたの城壁の内に平和があるように。あなたの宮殿の内が平穏であるように。」 私の兄弟友のためにさあ私は言おう。「あなたのうちに平和があるように。」 私たちの神【主】の家のために私はあなたの幸いを祈り求めよう。(6~9節)

8月15日、第74回目の日本の終戦記念日を迎えます。

1945年8月6日午前8時15分、広島市上空600メートルで、原子爆弾がさく裂しました。幼子からお年寄りまで、10万人以上の方が亡くなりました。
どうして、こんな残酷なことが、起ってしまったのでしょうか。多くの科学者たちが反対しました。大統領も、こんな惨劇を望んではいなかったと思います。
しかし、現実に、起ってしまったのです。どこかで歯止めを掛けることは出来なかったのでしょうか。
この世は、何もせずにいると、悪に傾いて行くようです。技術は進化しても、世界が平和になるわけではありません。むしろ、争いが激しくなるように見えます。

平和は尊いものです。でも、平和の中にいると、その尊さが分からなくなるのかもしれません。平和が失わたとき、平和が如何に尊いものか、気が付くのです。歴史は、その繰り返しです。聖書は、「平和のために祈れ」と言います。この祈りは、まず、自分の心に「神との平和」(ローマ5章1節)があるように求める祈りです。まずは、私たちの心の中に、そして、家庭の中に、隣人との間に、教会の中に、そして、国と国の間に平和・シャロームがあるようにと、祈ります。

この時、同じ過ちを繰り返すことがないように、平和のために心して祈りましょう。
『私たちの神【主】の家のために私はあなたの幸いを祈り求めよう。』

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8月4日(日)午前10時~11時30分 ウェルカム礼拝

「健全な自己肯定感」
イザヤ41章1~7節

だが今、【主】はこう言われる。ヤコブよ、あなたを創造した方、イスラエルよ、あなたを形造った方が。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったからだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたは、わたしのもの。・・・わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。(1,4節)

日本の子どもの「自己肯定感」は、かなり低いという内閣府の調査結果が出ています。(2014年度版「子ども・若者白書」)その理由の一つに、日本の子どもたちは、大人から(良い学校に行くよう)期待を掛けられすぎて、自由にのびのびと育てられるより、何かと強制されることが多く、その結果、自分の個性が認められず、自分が評価されていないという感覚を抱くケースが多いからではないかと、ある教育学者は、指摘しています。もっと、あたたかい目で見守り、個性を尊重し、ほほえみをもって育てられたら、自分に自信が持て、その人オリジナルの人生を歩めるようになるのではないかと思います。

自分で自分をどう見るかをセルフイメージと言います。「わたしは、ダメな人間だ。」と劣等感に苦しむ人は少なくありません。競争社会にあって、人との優劣だけが、自己評価の基準となってしまっているのかもしれません。聖書の中で、神さまは「わたしの目には、あなたは高価で尊い」と宣言しています。なぜなら、全ての人は、神によって造られたからです。しかも、「ご自身のかたち(人格)」に似せて造られたというのです。人は皆、神に愛されていています。

人は、神から離れ、自分勝手な道を歩み、その結果、自分の価値を見失ってしまいました。しかし、主イエス・キリストは十字架で、ご自分のいのちを代価として、罪の中に苦しんでいた私達を、神のゆるしといつくしみの中に、買い戻してくださいました。これを「贖い」と言います。主に贖われた人は、自分が神に愛され、それ故に、自分にも相手にも、尊い価値があることを取り戻して行きます。健全な「自己肯定感」の根拠は、主イエスキリストの十字架にあるのです。

☆どうぞ、ウエルカム礼拝においでください。
☆賛美歌、聖書は、備え付けてあります。
☆クリスチャンの体験談があります。
☆席上献金がありますが、すべて任意です。
☆皆さんを歓迎します。

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7月28日(日)午前10時~11時30分 主日礼拝

sdr

「人には負うべき自分の十字架がある」
マルコの福音書8章31~37節

「だれでもわたしに従って来たければ、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音のためにいのちを失う者は、それを救うのです。 人は、たとえ全世界を手に入れても、自分のいのちを失ったら、何の益があるでしょうか。 自分のいのちを買い戻すのに、人はいったい何を差し出せばよいのでしょうか。」

「隣の芝生は青く見える」と言われます。生きることがしんどく感じる時、他の人の人生が楽しそうに見え、うらやましいと思うことがるかもしれません。もし羽があったら、別のところに飛んで行きたいと思う時があるかもしれません。しかし、聖書は、人には、それぞれ「負うべ自分の十字架がある」と言います。「出来るだけ楽をして生きたい。」これは、人間の本性なのでしょうか。しかし、イエス様は、そこには「いのちの輝きはない。」と仰います。人生の本当の満足は、神が背負わせてくださる「自分の十字架」を負って、主に従って行くときにのみ得られるというのです。これは、逆説的な真理です。

「だれでもわたしに従って来たければ、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。」もし「自分の十字架は重過ぎる。疲れてしまった。」と感じることがあったら、主イエスの十字架のともに行き、荷をおろして休みましょう。主イエスの十字架のもとにだけ、重荷を下ろすことができます、イエスさまは、私たちの疲れを癒し、重荷を再調整し、背負わせてくださいます。イエス様が負わせてくださる「くびき」は負いやすく、その荷は軽いのです。狭い小道を辿る身であっても、感謝と喜びにあふれた人生を行くことができます。

☆礼拝に、どうぞ、おいでください。

⇒8月15日・北海道ポプラ聖会申込受付中です。涼しい北海道で、み言葉の恵みに与りませんか。旅の途中参加も歓迎いたします。

 

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7月21日(日)午前10時~11時30分 主日礼拝

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Fire from Heaven
Luke9:51-56
Preached by Zach Matt WGM missonary

さて、天に上げられる日が近づいて来たころのことであった。イエスは御顔をエルサレムに向け、毅然として進んで行かれた。
そして、ご自分の前に使いを送り出された。彼らは行ってサマリア人の村に入り、イエスのために備えをした。
しかし、イエスが御顔をエルサレムに向けて進んでおられたので、サマリア人はイエスを受け入れなかった。
弟子のヤコブとヨハネが、これを見て言った。「主よ。私たちが天から火を下して、彼らを焼き滅ぼしましょうか。」
しかし、イエスは振り向いて二人を叱られた。
そして一行は別の村に行った。

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7月14日(日)午前10時~11時30分 主日礼拝

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「道を教えてください」
詩篇25篇

「【主】を恐れる人はだれか。主はその人に選ぶべき道をお教えになる。
その人のたましいは幸せの中に宿りその子孫は地を受け継ぐ。」
(12,13節)

旅行を計画するとき、「どこへ行こうか」「宿をどうしようか」イメージが広がり、楽しいものですね。旅に出るときには、目的地までの道順、移動手段、費用などを予め調べておきます。自動車で異動するなら、カーナビに目的地を設定するでしょうし、電車やバス移動なら、スマホのアプリで検索して、最適なルートを調べておくでしょう。そうでないと、道を間違えたり、迷った挙句、時間切れなんて、せっかくの旅が台無しになってしまう危険もあります。何よりも、この道で良いのか、ちゃんと目的地に着くのか不安で、旅を楽しむどころではありません。

私達の人生も同じではないでしょうか。人生の全行程を見通すことは出来ませんが、日々「道を教えてください。」と神に祈りながら、聖書を人生のナビとして歩んで行くなら、様々な試練、困難を通ることはあっても、一足一足、平安のうちに導かれて行くことが出来ます。「道を教えてくだささい。」という、神の前に「聴く心」が鍵だと思います。神さまは、私達に「選ぶべき道」を教えてくださり、聖霊が、私たちの人生の同伴者となり、共に歩んでくださいます。特に、人生の節目においては、よーく心を澄ませて、神に聞くことが、大事なことではないかと思います。

★午後は、スモールグループと組会があります。

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7月7日(日)午前10時~11時30分 ウエルカム礼拝

「良くなりたいか」
ヨハネの福音書5章1~9節

イエスは彼が横になっているのを見て、すでに長い間そうしていることを知ると、彼に言われた。「良くなりたいか。」 病人は答えた。「主よ。水がかき回されたとき、池の中に入れてくれる人がいません。行きかけると、ほかの人が先に下りて行きます。」 イエスは彼に言われた。「起きて床を取り上げ、歩きなさい。」 すると、すぐにその人は治って、床を取り上げて歩き出した。(5:5~9)

 主イエスは、38年もの間、自分の足で立つことができなかった人に向かって「良くなりたいか」とお尋ねになりました。一般常識的には、これは、残酷な言葉かもしれません。しかし、主イエスの言葉には、不思議な力がありました。そう言われた人は、半分諦めかけていたようです。「これまでもどうにもならなかったのだ。今更、どうなるというのだ。」しかし、主イエスから「良くなりたいか」と問われたとき、心の中に、ふつふつと「良くなりたい」という思いがわいてきました。彼は、それまで、間違ったところに、解決を求めていました。また、誰も、助けてくれないことを、恨みがましく思っていました。

 しかし、主イエスは、彼に「起きて床を取り上げ、(自分の足で立って)歩きなさい。」と命じました。彼は、主イエスの言葉に従いました。すると、すぐに自分の足で立ち上がって、歩き出したのです。どんなに長い間、失望の中に横たわっていたとしても、救い主イエスの言葉に従ってみると、人生を自分の足で歩き始めることができるのです。彼の喜びは、どんなに大きかったことでしょう。「誰も助けてくれない」と、人のせいにしていないで、主のみ言葉に従って、自分の足で歩き始めればよいのです。主イエスの言葉には、力があります。「良くなりたいか」現代に生きる、私たちにも、主は語り掛けておられます。

★ウエルカム礼拝です。救いの体験談があります。
★聖書も、讃美歌も備え付けてあります。どうぞ、礼拝にいらしてくみてください。

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6月30日(日)午前10時~11時30分 上半期感謝礼拝・聖餐式

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「ここは天の門だ」
 創世記28章10~22節
16-17節 ヤコブは眠りから覚めて、言った。「まことに【主】はこの場所におられる。それなのに、私はそれを知らなかった。」 彼は恐れて言った。「この場所は、なんと恐れ多いところだろう。ここは神の家にほかならない。ここは天の門だ。」

2019年上半期を締めくくる礼拝です。

 私達の人生は、旅に例えられますが、この創世記の箇所は、ヤコブが、ベエル・シェバからハランに向かう途中、べテルで体験した出来事です。ヤコブは、神の祝福にとても貪欲で、勢い余って、兄エサウの分まで、だまし取ってしまいます。ヤコブは、兄の怒りを買い、父の家を出て行かなければならなくなりました。人生初の一人旅、きっと、心細かったに違いありません。しかし、ヤコブは旅の途中、不思議な体験をします。神さまが、幻で「わたしは、あなたを捨てない。わたしは、あなたと共にいて、あなたを守り、必ず連れ戻す」と約束してくださったのです。ヤコブは、神が共にいてくだるということを、人生で初めて知りました。

 人の霊的成長は「気づきと悟り」から始まると言われます。しばしば人は、孤独と不安の中で「まことの光」を見つけます。それは、魂がかわき、心が天に向かって開かれているからなのでしょう。人生の最初から、神は共におられます。しかし、それに気づかずに、ずーっと過ごして来ました。一人となり、他の助けが閉ざされたとき、天が開かれ、希望の光が差し込みました。彼は、このべテルでの経験を記念して「ここは天の門だ。」と言いました。

私達の2019年上半期の歩みを振り返えって、如何でしょうか。これまでの出来事の中に、「主が共におられた。」跡が見いすことができるのではないでしょうか。そこにある「神の恵み」に気づく。それによって、私達は、新しく力を受け、前に向かって歩んで行くのです。上半期の主の御守りに、心一杯感謝をささげましょう。聖餐式が持たれます。

⇒7月6日(土)はJOYJOYキャンプです。

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6月23日(日)午前10時~11時30分 主日礼拝

「御霊による魂の自由」
Ⅱコリント3章6~18節

「主は御霊です。そして、主の御霊がおられるところには自由があります。 私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」(17,18節)

 

キリスト者は、自由を与えられるために召されました。キリスト者の自由は、地上のどんな宝よりも価値があります。一度、この「魂の自由」を味わったことがある人は、「それを失うくらいなら、生きる意味がない」とさえ思うでしょう。この「魂の自由」は、罪と死の束縛からの自由であり、キリストの似姿へと変えられて行く自由です。神の慈しみと、愛の中に、永遠のいのちを謳歌して行くのです。誰も、どんな束縛も、この自由を奪うことはできません。ぜひ、この御霊による魂の自由をエンジョイして行きましょう。

☆礼拝の中で、岩渕まことさんが、数曲賛美をしてくださいます。
☆午後のコンサートは、午後2時からです。ぜひ、いらしてください。

 

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6月19日(日)午前10時~11時30分 主日礼拝

「生きててくれてありがとう」
使徒16:16〜34
16:31 二人は言った。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」
16:32 そして、彼と彼の家にいる者全員に、主のことばを語った。
16:33 看守はその夜、時を移さず二人を引き取り、打ち傷を洗った。そして、彼とその家の者全員が、すぐにバプテスマを受けた。
16:34 それから二人を家に案内して、食事のもてなしをし、神を信じたことを全家族とともに心から喜んだ。

*礼拝メッセージは、伊藤安司伝道師です。
(川嶋牧師は、八王子教会での御用です)

6月23日は、岩渕まこと・由美子父の日コンサートです。
どうぞ、おいでください。

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7月6日(土)午前9時~11時45分 JOYJOYキャンプ

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6月9日(日)午前10時~11時30分 ペンテコステ礼拝

「水と聖霊のバプテスマ」
使徒の働き1章1~9節

4、5節  使徒たちと一緒にいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けましたが、あなたがたは間もなく、聖霊によるバプテスマを授けられるからです。」
8節 しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」

ペンテコステの日、一緒に集まって祈っていた弟子たちの上に、聖霊が臨まれました。「聖霊」は、天に上って行かれた救い主イエス・キリストに代わって、いつでも、どこでも、私たちの傍らにいてくださる「もうひとりの助け主」(ヨハネ14章)として来てくださいました。クリスチャンは、水のバプテスマ(洗礼)を受けて、罪の赦しを確かなものとし、神の子どもの立場とされます。しかし、聖霊の力無しには、喜びあふれる信仰生活を送ることは出来ません。聖霊のバプテスマによって、心に残っている罪をきよめられ、神の愛ときよさを生きる原動力を得るのです。聖霊は、神の賜物です。聖霊が与えられることは、父なる神の約束です。熱心に求めるなら、誰でも、聖霊を受けることができます。冷めたく渇いた心ではなく、神の愛に心を燃やされ、神と人を愛する人生を歩んで行きたいものです。ペンテコステ礼拝に、どうぞ、おいでください。

☆礼拝の中で、洗礼式、転入会式を予定しています。
☆午後は、スモールグループ、組会です。
☆本日、バザーのアフターセールは終了します。

☆6月23日は、岩渕まこと・由美子さんのコンサートがあります。

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6月2日(日)午前10時~11時30分 ウエルカム礼拝

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「目を高く上げて、だれがこれらを創造したかを見よ」 イザヤ40章21~31節

イザヤ40:26~28 あなたがたは目を高く上げて、だれがこれらを創造したかを見よ。この方はその万象を数えて呼び出し、一つ一つ、その名をもって呼ばれる。この方は精力に満ち、その力は強い。一つも漏れるものはない。 ヤコブよ、なぜ言うのか。イスラエルよ、なぜ言い張るのか。「私の道は【主】に隠れ、私の訴えは私の神に見過ごされている」と。 あなたは知らないのか。聞いたことがないのか。【主】は永遠の神、地の果てまで創造した方。疲れることなく、弱ることなく、その英知は測り知れない。

神様は、すべてのものを創造された方です。神の英知と力は、被造物によって知られます。聖書は、「目を高く上げて、だれがこれらを創造したかを見よ。」と勧めています。昔の人たちは、人工の光も届かないところで、広大な夜空に輝く星々を見て、創造主なる神に思いを馳せました。新島襄は、江戸時代の末期、漢訳聖書を初めて接しました。創世記1章1節「初めに、神が天と地を創造した。」を読んで、「なるほど、この世界に存在するあらゆるものは、これを創造された神がおられなかったらできないはずだ。机は大工が作った。しかし、それを作った大工も、また大工が用いた用材も、人間の業で出来たものではない。ならば聖書の言う通り、この世界には真の神がおられて、この天地万物をお造りになり、それらを支配しておられる神がおられるのだ。」と考えたそうです。そこから、キリスト教信仰へと導かれて行きました。神様は、天地万物を造られ、歴史を導き、私たちの思いも全て知っておられます。この神を知るとき、人生の意味が分かり、永遠の希望と、人生を全うする力を受けるのです。ぜひ、聖書を知り、神さまを知ってください。ウエルカム礼拝では、初めての方を大歓迎いたします。分かり易く、聖書のお話をします。クリスチャンの体験談が話されます。おいでをお待ちしています。

☆6月いっぱい、バザーのアフターセールを行っています。
(現在の売上は、15万円ほどです。皆さまのご協力に心から感謝いたします。アフターセール終了後、改めて報告をいたします。)

☆6月23日は、岩渕まこと・由美子夫妻のコンサートがあります。

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5月26日(日)午前10時~11時30分 主日礼拝

『成長させてくださる神』
Ⅰコリント3章1~15節

「 私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。 ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。」

ぶどうの木にも花が咲きました。オリーブの木にも小さな白い花が咲き、ブルーベリーの実はだんだんと膨らみ、色がつき始めています。ゴーヤもだいぶツルが伸びて花が咲いています。植物の成長を見るのはとても楽しいことです。植物たちを観察しながら、つくづく思うのは「成長させてくださるのは神様」ということです。もちろん水やりは欠かさず、愛情込めて、いろいろお世話はしています。

ブドウの木に向かって、毎日、「頑張れ、頑張れ。」と言っても無駄です。成長どころか、向こうも、こちらも、ストレスで疲れ果ててしまうでしょう。ぶどうの木には、ぶどうの木の成長のスピードがあり、オリーブの木にはオリーブの木の成長速度があります。いくら、人が気をもんでも、どうなるものでもありません。やることはやり、あとは、神様にゆだねて、楽しみに待つ。

これは、人の成長とか、教会の成長にも当てはまることではないかなあと思いました。いのちがあるなら、普通にすべきことをしていれば、自ずと成長して行くのです。私達にできる最も良きことは、神が成長させてくださるのを邪魔しないことなのかもしれません。「成長させてくださるのは神」なのです。これは自然界の法則であるともに、人間や教会の成長にも当てはまるものではなかと思うのです。

☆26日、日曜のお昼は、ウエルカム・バーガーです。教会の芝生広場とトレーラーハウスをお楽しみください。

☆たくさんの方がバザーに来てくださいました。ありがとうございました。しばらくアフターセールを行っています。まだまだ、良いものがあります。教会においでください。

☆5月25日(土)は、ファミリー・コンサートがあります。

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5月19日(日)午前10時~11時30分 主日礼拝

『持てる力を喜んで使う』 
Ⅱコリント8:8~15
☆ケニアのテヌエク病院の 蔦田就子医療宣教師が、証詞とともに、宣教報告をしてださいます。
☆午後は、チャリティー・バザーです。どうぞおいでください。

◇メッセージ・アウトライン

1、奉仕の源泉は、主イエス・キリストの恵み。
「あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。」(9節)

2、奉仕とは、持っているものを喜んで与えること
「ですから今、それをやり遂げなさい。喜んでしようと思ったとおりに、持っているものでやり遂げてください。 喜んでする思いがあるなら、持っていないものに応じてではなく、持っているものに応じて受け入れられるのです。」(11,12節)

3、大きな「神の平等」に参加する
「今あなたがたのゆとりが彼らの不足を補うことは、いずれ彼らのゆとりがあなたがたの不足を補うことになり、そのようにして平等になるのです。「たくさん集めた人にも余ることはなく、少しだけ集めた人にも足りないことはなかった」と書いてあるとおりです。」(14,15節)

🔄主イエスキリストの恵みを知っている者として、持てる力に応じて喜んで主に仕え、「神の平等に」参加しよう。(牧師 川嶋直行)

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5月15日(日)午後 深川チャリティー・バザー

物品も受付けております。
どうぞ、おいでください。

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5月12日(日)午前10時~11時30分 主日礼拝

『イエスご自身が近づいて来て』
ルカ24:13~35

15 話し合ったり論じ合ったりしているところに、イエスご自身が近づいて来て、彼らとともに歩き始められた。
16 しかし、二人の目はさえぎられていて、イエスであることが分からなかった。

31 すると彼らの目が開かれ、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。
32 二人は話し合った。「道々お話しくださる間、私たちに聖書を説き明かしてくださる間、私たちの心は内で燃えていたではないか。」

エマオ村への道中での出来事です。気落ちしていた弟子たちは、復活のイエスご自身が、近づいて一緒に歩んでおられるのに、気が付きませんでした。しかし、聖書の説き明かしを聞いているうちに、心が内に燃えてくる経験をします。そして、復活のイエスが共におられることが分かりました。彼らは、同じ道を、今度は喜び勇んで帰って行きました。現代のエマオ、それは、礼拝ではないかと思います。疲れた心で礼拝に来て、そこで、復活のイエスと出会い、うちに心燃やされて、それぞれの持ち場立場に、遣わされて行くのです。どうぞ、礼拝においでください。

バザーのお知らせです。

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5月5日(日)午前10時~11時30分 ウエルカム礼拝

『父なる神の家に帰ろう』
ルカ15章11~24節

「立って、父のところに行こう。そしてこう言おう。「お父さん。私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪ある者です。 もう、息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください。」』 こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとへ向かった。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけて、かわいそうに思い、駆け寄って彼の首を抱き、口づけした。

有名な、イエスさまの「放蕩息子のたとえ」話です。「自分の好きなように生きてみたい。」そう思った弟息子は、父の家を出て行きました。しかし、そこは、思い描いた通りの世界ではありませんでした。全てを使い果たし、行き詰まってしまいますが、誰も助けてはくれません。その時、我に返るのです。そして、父の家に帰ります。父は、弟息子が帰って来るのを待っていました。そして、まだ遠くにいるのに、走り寄って、ぼろぼとになって戻ってきた弟息子を、抱きしめるのです。これは、父なる神の姿です。父の家を出て行った弟息子は、私達人間の姿なのです。父なる神のところには、赦しがあり、永遠のいのちがあります。自分の罪に気が付いたなら、悔い改めて父なる神に立ち返りましょう。父なる神は、喜んで赦し、受入れてくださいます。

◇ウエルカム礼拝です。
救いの体験談が話されます。
讃美歌も、聖書も備えつけがございます。
初めての方も、どうそいらしてください。

☆5月19日、バザーのお知らせです。

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4月28日(日)午前10時~11時30分 主日礼拝

『イエスの食卓』ルカ19:1~10
9、10節  イエスは彼に言われた。「今日、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。 人の子は、失われた者を捜して救うために来たのです。」
メッセージは、WGMザック・マッツ宣教師です。

午前11時30分から、イースターエッグハントがあります。

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