いつまでも残るものは信仰と希望と愛です―キリストを信じるという生き方ー

スライド1スライド6スライド12

 

 

 

 

 

 

 

スライド13

 

 

 

 

 

 

 

M141012 「ナオミとルツの友情物語」 ルツ記1章

 

ルツ記は、聖書の中でも、最も美しい物語の一つと言われる。特に、士師記の後にルツ記を読むと、心が洗われる感じがする。旧約聖書は余り読んだことがないと言う方も、じっくりと読んで、その恵みを味わって頂きたい。

 

ルツ記の主な登場人物は、ルツとナオミと(ボアズ)。ナオミはユダヤ人であり、ルツはモアブの女、いわば異邦人。ルツという名前の意味は「友情」。ルツ記は、ナオミとルツの友情を軸に、物語が展開して行く。

 

1、荒廃した時代

ルツ記の時代背景は「さばきつかさのころ」(1節)であった。つまり士師記の時代、戦国時代の様相であり、道徳的にも荒廃していた。ナオミとルツは、姑と嫁の関係であったが、とても美しい「友情」関係であった。

 

2、ナオミの試練

1‐5節  さばきつかさが治めていたころ、この地にききんがあった。それで、ユダのベツレヘムの人が妻とふたりの息子を連れてモアブの野へ行き、そこに滞在することにした。 その人の名はエリメレク。妻の名はナオミ。ふたりの息子の名はマフロンとキルヨン。彼らはユダのベツレヘムの出のエフラテ人であった。彼らがモアブの野へ行き、そこにとどまっているとき、 ナオミの夫エリメレクは死に、彼女とふたりの息子があとに残された。 ふたりの息子はモアブの女を妻に迎えた。ひとりの名はオルパで、もうひとりの名はルツであった。こうして、彼らは約十年の間、そこに住んでいた。 しかし、マフロンとキルヨンのふたりもまた死んだ。こうしてナオミはふたりの子どもと夫に先立たれてしまった。

 

ルツ記は、稀に見る試練から始まる。

ナオミは、度重なる試練に、相当失望落胆したであろう。

 

2、ルツの決意

14‐18 彼女たちはまた声をあげて泣き、オルパはしゅうとめに別れの口づけをしたが、ルツは彼女にすがりついていた。 ナオミは言った。「ご覧なさい。あなたの弟嫁は、自分の民とその神のところへ帰って行きました。あなたも弟嫁にならって帰りなさい。」 ルツは言った。「あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私にしむけないでください。あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。 あなたの死なれる所で私は死に、そこに葬られたいのです。もし死によっても私があなたから離れるようなことがあったら、【主】が幾重にも私を罰してくださるように。」 ナオミは、ルツが自分といっしょに行こうと堅く決心しているのを見ると、もうそれ以上は何も言わなかった。

 

ナオミは、ベツレヘムに戻る決心をする。未亡人となったふたりの嫁に自分の家に帰って、新しい生活を始めるように勧めた。しかし、ルツは、「あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。」と言って、ついてナオミについて、ベツレヘムに行った。

 

どうしてルツは、ナオミについて行ったのか。理由を考えてみたい。

①10年間、ナオミは、ルツにとても親切だった。一緒に暮らすうちに、別れがたくなっていた。

②ルツは、ナオミの信じている神を信じるようになっていた。モアブの神々のところへは戻りたくなかった。

③ルツは、年老いたナオミが、失望のうちに、ひとりでベツレヘムに帰って行くのが耐えられなかった。ルツは、自分のことよりも、ナオミのことを考え、ナオミを励まし支えるために、ナオミについて行った。

 

「あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私にしむけないでください。あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。 あなたの死なれる所で私は死に、そこに葬られたいのです。」

 

ルツの心は定まっていた。そして、ルツの堅い決心は、後に、大きな実を結ぶことになる。

 

3、神さまのご計画

ふたりは旅をして、ベツレヘムに着いた。「私をナオミと呼ばないで、マラと呼んでください。全能者が私をひどい苦しみに会わせたのですから。」マラとは、「苦しみ」とか「苦味」と言う意味。ルツ記は、このように、あまりにも過酷な試練から始まる。しかし、これは、始まりに過ぎなかった。4章まで読めば、神さまのご計画の素晴らしさが見えて来る。

 

4章14‐17節 女たちはナオミに言った。「イスラエルで、その名が伝えられるよう、きょう、買い戻す者をあなたに与えて、あなたの跡を絶やさなかった【主】が、ほめたたえられますように。・・・オベデはダビデの父エッサイの父である。

 

そして、この系図は、新約聖書のマタイの福音書に続いて行く。

マタイ1章1節 アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図。

5、6節 サルモンに、ラハブによってボアズが生まれ、ボアズに、ルツによってオベデが生まれ、オベデにエッサイが生まれ、エッサイにダビデ王が生まれた。

16節 ヤコブにマリヤの夫ヨセフが生まれた。キリストと呼ばれるイエスはこのマリヤからお生まれになった。

 

アブラハムから、イエス・キリストの誕生まで、約2000年。その間、いろいろなことがあった。人間の成功と失敗の割合を比べたら、成功よりも失敗の方が多かったのではないか。たくさんの失敗、罪、悲しい出来事、絶望があったが、神のご計画は、それらを乗り越えて成就して行った。救い主イエス・キリストは、たくさんの罪や、失敗、人間の罪も、弱さも、失敗も全部ひっくるめて贖ってくださるという、壮大なスケールのご計画であった。

 

ローマ8:28「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」

 

神さまの計画は、無駄に終わらない。人間の目には、無駄だったと見えたとしても、神さまは、そこから、素晴らしいみ業を行ってくださる。ナオミは、夫も、ふたりの息子も、大事なものをすべて失ってしまい、10年という年月は無駄になってしまったかのように見えたが、しかし、そこで神の計画が終わったのではなく、むしろ、そこから神様にしかできない、大逆転が始まって行った。

 

私たちは、神の計画の全容を見ることが出来ない。私たちは、神さのご計画の、ほんの一部分しか見ることが出来ない。その一部を見て、もうだめだとか、もう終わりだとか、決めつけてしまってはいけない。最初、「私をマラ苦しみと呼んでください」と言ったナオミは、最後には、神をほめたたえるようになる。人々もナオミの受けた祝福を見て喜ぶ。神は、すべてのことを働かせて益と変えてくださるのだ。

 

4、希望を持って生きる

今日の結論は、「どんな時も希望を持って生きよう」ということ。私たちは、ルツの姿勢に学びたい。ルツは、ナオミから「自分の家に帰りなさい。」と言われたが、それでも、ついて行った。

 

大事なことは、どのような状況でも、たとえ、それが絶望的な状況であっても、神を信じ、神に希望を見出し、神さまについて行くこと。「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。」(ヘブル 11:6)神様を信じ、神に期待し、神について行くなら、必ず展望が開けて来る。

 

神さまのご計画は壮大。そして、確かに言えることは、「最後は祝福で終わる」ということ。神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださる。途中、どんなところを通ることがあっても、最後は祝福で終わる。「アーメン。信じます。」

 

ルツ記は、試練で始まり、喜びで終わる。「全能者が私をひどい苦しみに会わせたのですから。」と言ったナオミの失望の言葉は、最後には、主への喜びと感謝の賛美に変わった。これは、私たちの信仰生涯にも当てはまる。私たちが、互いに励まし合い、助け合い、祈り合い、愛し合って行く時、神の約束が成就して行く。

 

たとえ、今、試練の中にあるとしても、神さまのご計画は、最後は祝福で終わることを覚え、互いに祈り合い、励まし合って、進んで行こう。神様は、素晴らしいフェナーレを用意しておられる。もし、信じるなら神の栄光を見る。誰かが弱ったときには、誰かが支える。また、逆の時もある。そのような信仰の「友情物語」によって、神さまの約束は成就して行くのだ。

 

16節 ルツは言った。「あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私にしむけないでください。あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。

 

M141012 「ナオミとルツの友情物語」 ルツ記1章   学びシート