いつまでも残るものは信仰と希望と愛です―キリストを信じるという生き方ー

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「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ」 箴言4:20~27

1、心はいのちの源泉
23節「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。」

別の訳には、こうあります。「どの宝にもまさって、あなたの心を守れ。それは、あらゆる命の源だから。」人はみな、心を持っています。心は、その人の一番奥深くにある「中心部分」です。心から、ことばが発せられ、心から、私たちの行動が出て来ます。心のありようによって、私たちの人生が決まって来ると言っても過言ではありません。

イエス・キリストはこう言われました。「人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。」(マタイ 16:26)私たちは、普段あまり、心に注意を払っていないように思います。しかし、聖書は、心こそ、私たちのいのちの源泉であり、心こそ、何にもまさって、大切にしなければならないものだと教えています。

今、箱根の温泉で、湯船が空っぽで、「死活問題」だとニュースで報じられていました。大涌谷から温泉を引いてきているそうですが、パイプが途中で外れたのか、何かしらの理由で、温泉が供給されなくなってしまったのですね。早く、直って、源泉かけ流しの温泉にさぶんと浸かりたいと思っている人は多いと思います。

実は、私たちの心も、信仰というパイプで、神様と繋がっているのですが、知らぬ間に、そのパイプが外れてしまって、からからに乾いているということがあります。いや、逆に、不平、不満、いらだちで、いっぱいになっているかもしれません。私たちは、いつも、神さまの愛が、私たちの心にとうとうと流れ込み、愛、喜び、平安で満たされていることが出来るように、自分の心を守る必要があります。

「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。」

2、神様の愛に気がつく
20~22節  わが子よ。私のことばをよく聞け。私の言うことに耳を傾けよ。それをあなたの目から離さず、あなたの心のうちに保て。見いだす者には、それはいのちとなり、その全身を健やかにする。

「わが子よ。私のことばをよく聞け。」「私」とは誰でしょうか。箴言を書いたソロモン王、あるいは彼の父ダビデでしょうか。いずれにしても、父が子を思う思いが込められています。しかし、この言葉は、同時に、天の父なる神様から、私たちに語られていることばでもあります。神様は、私たちに「わたしの言葉を聞いて欲しい」と願っておられるのです。そこには、父なる神様の愛が込めらています。

聖書は、神様から、私たちのへのラブレターです。こんな「分厚いラブレター要らない」等と言わないでください。複雑に入り組んだ人間社会の中で、一人でも多くの人に、救いを伝えようと、2000年以上の時間を掛けて書かれたので、こんなに厚くなってしまったのです。しかし、伝えたいことは1つです。それは、神様が、私たちを愛しておられるということです。

先ほど「父の涙」を賛美して頂きました。この「父の涙」を作詞・作曲したのは、岩淵まことさんです。この曲は、岩淵さんの最愛の娘である亜希子さんが7歳のとき、脳腫瘍となり、苦しい闘病生活を送っていたときに、作られた曲だそうです。この「父の涙」とは、愛する娘を想う「父の涙」であり、同時に、天の父なる神様が、私たちの罪を赦すために、愛するひとり子のイエスキリストを十字架に付けた、その涙なのですね。

心に迫る父の悲しみ 愛するひとり子を十字架につけた
人の罪は燃える火のよう 愛を知らずに今日も過ぎていく
十字架から溢れ流れる泉 それは父の涙
十字架から溢れ流れる泉 それはイエスの愛

人の話をよく聞く時は、どうするでしょうか。自分の仕事を一旦おいて、その人の前に行って、相手の言葉を、注意して聞くと思います。自分のことをしながら、聞き流すようなことはしません。静まって、聖書を通して語られる、父なる神様の言葉に、心を傾けて聞くことが、心を見守るということです。

私たちの心が、自分のことでいっぱいになっている間も、神様は、私たちの心を顧みてくださっています。実は、私たちは、自分で自分の心を守ることは出来ません。私たちの心を守ってくださるのは、神様の恵み以外にありません。ですから、私たち側でも、聖書を通して語っておられる、神様のことばに、真摯に心を傾けたいと思うのです。

聖書の言葉は、「十字架のことば」と言われます。イエスさまの十字架を通して語られる言葉です。それは、私たちの永遠を決定付ける、大事な言葉です。それは、心を傾けないと、よく聞き取れません。しかし、「見いだす者には、それはいのちとなり、その全身を健やかにする。」のです。ぜひ、神さまの愛、主イエスさまの救いを見出して頂きたいと思います。

3、悪を捨てる
24節  偽りを言う口をあなたから取り除き、曲がったことを言うくちびるをあなたから切り離せ。

私たちの口から出る言葉と、心は繋がっています。もし、私たちの口から、偽りの言葉や、人を貶めるような言葉が出るとするならば、それは、心に偽りがあり、心が曲がっているからです。人の悪口や、陰口は、他の人を傷つけるばかりでなく、自分自身をも破滅に追いやります。

「偽りを言う口をあなたから取り除き、曲がったことを言うくちびるをあなたから切り離せ。」とは、そのような言葉を言わないようにすると言うよりも、それらの言葉を発する源である心から「偽り」を取り除きなさいということです。対処療法ではなく、根本的な治療が必要なのです。

しかし、人は、修業や鍛錬によっては、心をきよくすることは出来ません。心をきよくする、唯一の方法は、救い主イエス・キリストによって、罪を赦して頂き、心をきよめて頂くことです。新約聖書Ⅰヨハネ 1:9にこうあります。

「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」

「捨てる」とは、神様の前に、自分の罪を告白することです。いろいろな言い訳をやめて、また、他の人のせいにすることもやめて、神様の前にひざまずき、自分の罪を認め、お詫びをすることです。そうすれば、神様は、真実なお方ですから、その罪を赦し、その罪をきよめてくださいます。

神様は、私たちの心から、不義を取り除き、永遠の命の希望をもって、前を向いて歩んで行けるようにしてくださいます。そのために、主イエス・キリストは、十字架に掛ってくださいました。主イエスさまの十字架の前に悔い改め、イエス様を信じるなら、私たちの心には、永遠のいのちの希望が与えられます。

25~27節  あなたの目は前方を見つめ、あなたのまぶたはあなたの前をまっすぐに見よ。 あなたの足の道筋に心を配り、あなたのすべての道を堅く定めよ。右にも左にもそれてはならない。あなたの足を悪から遠ざけよ。

既に救われている方は、主イエス様から目を離さず、天の御国の希望を抱いて、今週も歩ませて頂きましょう。

23節「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。」

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