いつまでも残るものは信仰と希望と愛です―キリストを信じるという生き方ー

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マタイ1:20~25 「ヨセフの決断」

「彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。21 マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」22 このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためであった。23 「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)24 ヨセフは眠りからさめ、主の使いに命じられたとおりにして、その妻を迎え入れ、25 そして、子どもが生まれるまで彼女を知ることがなく、その子どもの名をイエスとつけた。

ヨセフは、マリヤの懐妊に驚き、マリヤを内密に去らせようと決めた。しかし、感情に任せて即断するのではなく、尚、そのことを慎重に思い巡らして来た。マリヤに現れて教えてくださったように、神は、ヨセフにも夢を通して、語ってくださった。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。」ヨセフは、自分が何か大きな歴史の渦の中に巻き込まれて行くように感じたのかもしれない。人生の決断の時、誰しもが感じるあの恐れだ。いくら愛しているとはいえ、マリヤとの結婚に対しても恐れを感じたことだろう。

しかし、ヨセフは、信仰の従順をもって、神のことばに従った。ヨセフの決断の理由を考えてみたたい。

①神のみこころであるから
「その胎に宿っているものは聖霊によるのです。」
「このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためであった。」
ヨセフは、それが、神のみこころによることが分かった。自分の頭では全部理解できなくても、神のみこころに従うのが、最も安全安心である。

②罪から救われて生きることが出来るから
「その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」その決断によって「罪から救われた」道を歩むことが出来るから。「 罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」(ロマ 6:23)罪の暗闇を歩むことは、恐ろしい。たとえ、人の目にはまっすぐに見えても、その終わりは死の道である。しかし、罪から救われて歩む道は、たとえ狭い道でも、平安と、喜びと、希望がある。

③主がともにおらるから。
「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。) たとえ家族や仲間に囲まれていても、主がともにおられない人生は、虚しく、寂しい。人から誤解されたとしても、主が分かっていてくださるなら救われる。どんな時も、主が支え、励まし、導いてくださる人生ほど幸いな道はない。

ヨセフは、「信仰の従順」をもって、人生の決断をした。もし、そのとき、決断していなかったら・・・ということ考えたくはない。いつでも、神の導きに従うことが一番である。どうか、私たちも、信仰の道を選択できますように。

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