いつまでも残るものは信仰と希望と愛です―キリストを信じるという生き方ー

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出エジプト記38:8 また彼は、青銅で洗盤を、また青銅でその台を作った。会見の天幕の入口で務めをした女たちの鏡でそれを作った。

洗盤(キヨール)は、祭司が祭壇で犠牲を捧げる前に、身を洗いきよめる場所である。
モーセは、祭司であるアロンとその子らにこう命じた。「洗いのための青銅の洗盤と青銅の台を作ったなら、それを会見の天幕と祭壇の間に置き、その中に水を入れよ。アロンとその子らは、そこで手と足を洗う。彼らが会見の天幕に入るときには、水を浴びなければならない。彼らが死なないためである。また、彼らが、【主】への火によるささげ物を焼いて煙にする務めのために祭壇に近づくときにも、その手、その足を洗う。彼らが死なないためである。これは、彼とその子孫の代々にわたる永遠のおきてである。」(出エジプト34:18~21)

洗盤は、青銅によって造られたが、それは、「会見の天幕の入口で務めをした女たちの鏡でそれを作った。」とある。鏡から洗盤が作られたことは、興味深く、神様の意図が隠されているように思う。つまり、祭壇に仕える祭司たちは、奉仕する前に、自分の姿を調べる必要があるということを示唆しているのではないだろうか。主に仕える者が、自分のあり方を調べることは、とても大事なことなのだ。主の前に静まり、ずれているところ、改善しなければならいところを教えられ、主の十字架の血潮によってきよめられ、聖霊の油注ぎを頂いて、奉仕に当たる。それが祭司のあり方だと教えられる。プロテスタント教会は、万人祭司であり、これは、すべての奉仕者に当てはまる。祭壇で仕える祭司が洗盤で身をきよめて、主に仕える準備をしたように、主の前に自分のあり方を調べ、きよめられ、主の日に備えたいと思う。