いつまでも残るものは信仰と希望と愛です―キリストを信じるという生き方ー

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M160103 「救いの勇士」ゼパニヤ書3章11~17節

新年おめでとうございます。
今年も、主にあってよろしくお願い致します。

主の年2016年、どんな一年になるのでしょうか。私たちは、とにかく、平和で順風満帆な一年をと願うことですが、世界情勢は、すごいスピードで動いています。私たちは、いつ、何があっても、あわてることがないように、信仰の目を覚まし、信頼すべきお方に、しっかりと繋がっていたいと思います。

今年、深川教会の年間聖句として与えられたみ言葉は、ゼパニヤ書3章17節です。元旦礼拝に、来られなかった方もおられますので、今朝は、もう一度同じ、み言葉からメッセージを取り次がせて頂きます。17節をご一緒に読みましょう。

17節「あなたの神、【主】は、あなたのただ中におられる。救いの勇士だ。主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる。」

とても、励まされるみ言葉ですね。このみ言葉を基にした賛美が、今月のテーマソング「神様は救いの勇士だ」です。一年を通して、このみ言葉と賛美を口ずさみながら、歩んで行けたらと願います。主は、み言葉と共におられ、賛美の中に住んでくださいます。私たちのただ中に、おられる救いの勇士に信頼して、2016年を歩んで参りましょう。

1、救いの勇士
「救いの勇士」というのは、ヘブル語で、ギボール イェシュアーと言いますが、これは、単数形です。「救いの勇士」は、ただ、おひとりです。救いの勇士は、神様ですから、おひとりで、十分勝利することができます。ヘブル語「イェシュアー」は、新約聖書では、イエスです。つまり、この「救いの勇士」は、現代においては、救い主イエスキリストを指しています。

私たちのただなかにおられる「救いの勇士」は、いつ、いかなる状況においても、私たちを救うことができます。この「救いの勇士」は、呼べば、答えてくださる神様です。この「救いの勇士」は、十字架で贖いを成し遂げられ、復活されたキリストです。救いの勇士は、今、よみがえりの主として、また、もうひとりの助け主、聖霊として、私たちの傍らに、わたしたちのただ中におられ、私たちを助けていてくださいます。

この方によって、私たちは、罪と死の支配から、既に解放されています。イエス・キリストは、十字架に掛かり、贖いを成し遂げ、3日目によみがえり、今も生きておられます。天の御座について、私たちのために、父なる神に執り成していてくださいます。この「救いの勇士」は、私たちを完全に救うことが出来るお方です。いかに、この方の救いを知るか、が今年のテーマです。

私たちの心の中に、私たちの生活の中に、私たちの問題、課題の中に、私たちの人間関係の中におられます。ですから、恐れることはありません。このお方が、私たちを愛し、喜んでくださるから、私たちは、どんな時も、平安のうちに、歩んで行くことが出来ます。2016年、この救いの勇士がともにおられることに感謝して、歩んで参りましょう。

2、救いの喜びに生きる
15節 【主】はあなたへの宣告を取り除き、あなたの敵を追い払われた。イスラエルの王、【主】は、あなたのただ中におられる。あなたはもう、わざわいを恐れない。

この「宣告」とは、私たちへの有罪宣告、有罪判決です。「あなたは罪人だ。」「あなたは、神に愛される資格がない。」「あなたは、ダメだ。」という有罪宣告を、救いの勇士は、取り除いてくださいました。新約聖書コロサイ2章14、15節にこう書いてあります。
「いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。 神は、キリストにおいて、すべての支配と権威の武装を解除してさらしものとし、彼らを捕虜として凱旋の行列に加えられました。」

有罪宣告を、イエスキリストは、十字架にくぎ付けにされました。イエスさまご自身がが、十字架に釘付けされたとき、私たちを責め立てている有罪宣告書も、一緒に、十字架にくぎ付けにされたのです。その代わりに、「あなたの罪は、赦された。安心して行きなさい。」という、神様の赦しの宣告がなされました。

これは、同時に、私たちから高慢を取り除いてくださったということを意味します。
11、12節をご覧下さい。「その日には、あなたは、わたしに逆らったすべてのしわざのために、恥を見ることはない。そのとき、わたしは、あなたの中からおごり高ぶる者どもを取り去り、あなたはわたしの聖なる山で、二度と高ぶることはない。 わたしは、あなたのうちに、へりくだった、寄るべのない民を残す。彼らはただ【主】の御名に身を避ける。

救いの勇士は、私たちのへの有罪宣告とともに、私たちの高ぶりをも取り除いでくださいます。この高ぶりとは、「神様に、頼らずとも、自分でやって見せる」という根強く、私たちのうちに残っている「高ぶり」という性質です。自分ではどうすることもできない、「高ぶり」の性質を、イエス・キリストは、その十字架の血によって、きよめてくださいました。

Ⅰヨハネ1:7 しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。
救いの勇士は、ご自分のいのち犠牲にして、私たちのうちにある「高ぶる」性質をきよめてくださいました。自分の中にある高慢を悔い改め、主の十字架の血潮で、きよめて頂きましょう。

17節後半に、「主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる。」とあります。私たちは、主にイエスさまに頼る以外に「寄る辺のない民」です。神様は、「よるべのない民」を愛し、その交わりを、楽しんでくださいます。神様は、私たちを愛し、私たちはその愛によって安心します。それだけでなく、神様は、私たちのことを、高らかに歌って喜んでくださるのです。これは、自分の力による勝利ではなく、救いの勇士が与えてくれる救いです。

3、愛する者たちの救い
18~20  例祭から離れて悲しむ者たちをわたしは集める。彼らはあなたからのもの。そしりはシオンへの警告である。 見よ。その時、わたしはあなたを苦しめたすべての者を罰し、足のなえた者を救い、散らされた者を集める。わたしは彼らの恥を栄誉に変え、全地でその名をあげさせよう。 その時、わたしはあなたがたを連れ帰り、その時、わたしはあなたがたを集める。わたしがあなたがたの目の前で、あなたがたの繁栄を元どおりにするとき、地のすべての民の間であなたがたに、名誉と栄誉を与えよう、と【主】は仰せられる。

「例祭から離れて悲しむ者たちをわたしは集める。」「散らされた者を集める。」「その時、わたしはあなたがたを連れ帰り、その時、わたしはあなたがたを集める。」「あなたがたの繁栄を元どおりにする」神様の救いの恵みから、離れている人たちを、主は再び集めると、仰るのです。あなたがたの繁栄を元通りにする。と。

まだ、救われていない家族のために、長いこと、祈り続けている方がおられます。かつて、イエスさまに救われたけれども、今は、礼拝から離れている家族のために祈り続けている方もおられます。私たちの愛する家族が救われるようにというのは、切なる願いです。その願いと祈りは、いつ叶えられるのかと、失望に襲われることもあると思います。

しかし、神様の時は、必ず来ます。「その時、わたしはあなたがたを連れ帰り、その時、わたしはあなたがたを集める。と主は言われます。この約束をしてくださった「救いの勇士」がわたしたちのただ中におられるのです。それは、人には出来なくても、神にとって、不可能はありません。救いの勇士に期待しましょう。あきらめないで祈り続けて行きたいと思います。

16節 その日、エルサレムはこう言われる。シオンよ。恐れるな。気力を失うな。
17節 あなたの神、【主】は、あなたのただ中におられる。救いの勇士だ。主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる。