いつまでも残るものは信仰と希望と愛です―キリストを信じるという生き方ー

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M160110 「心の目が啓かれて」 エペソ1章

1、心の目でしか見えないもの
18~19節
また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。

視力が良くても、肉眼で見える世界は、ごくごく限られた世界です。サン・テグジュベリは、星の王子さまの中でこう言っています。「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」本当にそう思います。肉眼には見えない世界にこそ、真理があります。そして、それは、心の目によってしか見ることが出来ません。

信仰の世界も、肉眼では見えません。神は霊ですから、心の目で見ないと分かりません。私たちの心の目は、啓かれているでしょうか。人は、罪によって心に覆いが掛けられてしまい、神様が分からなくなってしまいました。しかし、イエスキリストを仰ぎ見て行くとき、私たちの心の目の視力が回復してきます。

バルテマイは、イエスさまから「わたしに何をして欲しいのか」と問われたとき、即座に「先生。目が見えるようになることです。」と答えました。私たちもイエス様に「心の目が見えるようになりたいです。」と祈り求めたいと思います。せっかく、目の前に、素晴らしい恵みがあるのに、それが全く見えていないとしたら、もったいないことです。

2、天にあるすべての霊的祝福
「神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。 すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。 」

原語のギリシャ語では、3~14節は、一つの文となっています。とても長い文ですが、主語は、3節の「神は」で、主動詞は「祝福してくださいました。」です。短くすると「神は、祝福してくださいました。」となる訳ですが、「天にあるすべての霊的祝福」とは、どのような祝福なのか、3~14節に凝縮して書かれています。

神さまの祝福は、天地創造の前から始まっています。私たちが、まだ生まれる以前から、いや、この世界の基が置かれる以前から、神様は私たちをキリストにあって救い、御子のかたちに似た者へと造り変えようと、計画しておられたというのです。それは、私たちを愛しておらたからです。この神のご計画は、変更されることはありません。

7節にありますように、私たちは、今、キリストの血による贖い、罪の赦しを受けています。これは、個人の救いです。しかし、神様の救いは、個人の救いで終わりではありません。10節にありますように、やがて、イエス・キリストによって、天にあるもの、地にあるものが、一つに集められる時が来ます。

ヨハネの黙示録では、天の御国における礼拝の様子が記されています。あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、大ぜいの群衆が、白い衣を着、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立ち、神と、ほふられたと見える神の小羊をほめたたえ、礼拝しているのです。

20、21節  神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、 すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。

神の国の完成成就のときです。11節にありますように、キリストを信じる私たちは、その御国を受け継ぐ者とされています。そして、14節にあるように、キリストによる御国を受け継ぐ保証として、私たちは聖霊を受けています。聖霊の火によるバプテスマによって、私たちの魂に、「あなたは、わたしのもの」という、キリストの焼き印が押されました。キリストの福音を聞き、キリストを信じた私たちは、御国を受け継ぐ、共同相続人なのです。

これが、3節にある「天にあるすべての霊的祝福」です。キリストを信じる者は、このすべての天にある霊的祝福を既に、頂いています。そうはいっても、あまりピンと来ないかもしれません。確かに、人間の理解を超えたことです。しかし、心の目が見えるようになると、この天にある霊的祝福が分かってくるのですね。

3、心の目が啓かれる処方箋
聖書には、私たちの心の目が啓かれるための、処方箋が書いてあります。

黙示録3:17~20
「あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。わたしはあなたに忠告する。豊かな者となるために、火で精錬された金をわたしから買いなさい。また、あなたの裸の恥を現さないために着る白い衣を買いなさい。また、目が見えるようになるため、目に塗る目薬を買いなさい。わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい。 見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。 勝利を得る者を、わたしとともにわたしの座に着かせよう。それは、わたしが勝利を得て、わたしの父とともに父の御座に着いたのと同じである。」

心の目が見えるようになるために、第1に必要なことは「自分を知る」ということです。
ラオデキヤの教会の人たちは、「自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もない」と自己満足に陥っていました。ラオデキヤは金融業の中心地であり、毛織物と良く効く目薬を作り、町は大変栄えていたようです。経済的、物質的には、大変豊かでした。しかし、物質的豊かさとは反比例するように、霊的には、とても貧しい状態でした。実は、「自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない」と言われています。

心の目が啓かれるためには、まず、「自分は、心の目が見えていない」ことを認めるところから始まります。「私の心の目は、よく見えません。主よ。見えるようにしてください。」と、祈ることから始まります。たくさん勉強したり、良い事をしたら、心の目が啓かれる訳ではありません。神様の前に、自分はみじめで、貧しく、目の見えない者であることを認めるところから始まります。

神様は「わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい。」と言われます。失敗したとき、試練に遭ったときこそ、心の目が啓かれるチャンスですね。自分で何とかしようとすることをやめて、神様の前に、悔い改めること。それが、真に豊かな者となる唯一の道です。他の道はありません。

第2に、聖霊を求めることです。
「目が見えるようになるため、目に塗る目薬を買いなさい。」とあります。この目に塗る目薬とは、聖霊のことです。パウロは、「どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。」と執り成しの祈りを捧げています。神を知るための知恵と啓示の御霊が、与えられるとき、私たちの心の目が啓かれて行きます。

私たちも熱心に、知恵と啓示の御霊が与えれるよう、お祈りしましょう。聖霊は、求める者に与えられます。「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。 だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。」この聖霊は、約束の聖霊です。父なる神様は、求める者に、喜んで聖霊を与えてくださるいます。

「私は、十分見えている」とパリサイ人は、言いました。イエスさまは、「わたしはさばきのためにこの世に来ました。それは、目の見えない者が見えるようになり、見える者が盲目となるためです。」と仰いました。「私は見える」という者は、罪の中に留まります。しかし、「私は、見えない」という者の目を、聖霊が啓いてくださるのですね。

第3に、イエス・キリストとの交わりを持つことです。
Ⅱコリント 3:16には、「しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。 」とあります。私たちが、主イエス様にしっかりと顔を向け、イエス様にお祈りし、神の言葉である聖書を読んで、イエスさまとの霊的な交わりを持って行くとき、私たちの心の目が啓かれて行きます。「人が主に向くなら」です。あちこち、よそ見をしたり、あれかこれか、気を散らしたりせずに、しっかりとイエス様の方を向く。それが、心の目が啓かれる秘訣です。

私は、教会のお祈り会は、「人が主に向く」貴重な機会だと思います、もちろん、ひとりで、イエスさまに祈り、聖書を読むことも幸いです。しかし、教会は、特別なところです。教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。

神の恵みは、家庭にも、職場にも、学校にもあります。どこにいても、神様の助けを受けることができます。しかし、教会は「キリストのからだ」です。教会のかしらは、キリストです。私たちは、このかしらなるキリストにしっかりつながることによって、天にあるすべての霊的祝福を受け取って行きます。

私たちの肉眼には、教会といえども、争があったり、不和があったり、欠けの多いところのように見えます。しかし、それでも、教会は、キリストのからだです。いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。その教会を愛し、主に礼拝を捧げ、み言葉を読み、祈りを捧げます。そうして、かしらなるキリストにしっかりと繋がって行きます。私たちは、キリストの体である教会を通して、天にあるすべての霊的祝福を受け取って行くのです。

どうか、私たちの心の目が良く見えるようになり、教会を通し、キリストを通し、私たちに与えられる霊的祝福の素晴らしさに目が啓かれて行く一年となりますうに、祈りましょう。心の目を啓いてくださるのは、聖霊です。約束の聖霊、神を知るための知恵と啓示の御霊が与えられるように祈りましょう。

17~19節
どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。