いつまでも残るものは信仰と希望と愛です―キリストを信じるという生き方ー

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詩篇116篇から「お祈りの恵み」を学んでみたいと思います。

1、祈りは、主を愛すること
1、2節  私は主を愛する。【主】は私の声、私の願いを聞いてくださるから。 主は、私に耳を傾けられるので、私は生きるかぎり主を呼び求めよう。

まず第一に、神への祈りは、神を愛することです。お祈りは、主なる神への愛の告白です。主を愛してお祈りするとき、どんな小さな祈りであっても、主は、耳を傾けて聞いてくださいます。何と感謝なことでしょうか。「私は主を愛する。【主】は私の声、私の願いを聞いてくださるから。」主を愛しているので、生きる限り、主を呼び求めます。祈りは、神との愛の交流です。

2、祈りは、主の憐みを求めること
3 ~6節 死の綱が私を取り巻き、よみの恐怖が私を襲い、私は苦しみと悲しみの中にあった。 そのとき、私は【主】の御名を呼び求めた。「【主】よ。どうか私のいのちを助け出してください。」【主】は情け深く、正しい。まことに、私たちの神はあわれみ深い。【主】はわきまえのない者を守られる。私がおとしめられたとき、私をお救いになった。

2番目に、お祈りは、主の憐みを求めることです。この詩編の作者は、突然の試練に襲われました。「死の綱が私を取り巻き、よみの恐怖が私を襲い、私は苦しみと悲しみの中にあった。」とありますから、死を覚悟するような試練であったようです。恐怖と、苦しみと悲しみが襲って来ました。しかし、その時、彼は、主の憐みを求めて、祈りました。「私がおとしめられたとき、私をお救いになった。」神様は、憐みを求めて求める来る者を、決して、見捨てにはなりません。

3、祈りは、魂の憩いを得ること
7,8節  私のたましいよ。おまえの全きいこいに戻れ。【主】はおまえに、良くしてくださったからだ。 まことに、あなたは私のたましいを死から、私の目を涙から、私の足をつまずきから、救い出されました。

3つ目は、祈りは、魂の憩いを得ることです。どんなに心配でも、心が騒いでも、へりくだって、主に祈るとき、魂のいこいに戻ることが出来ます。もしかしたら、多少、時間が掛かるかもしれません。しかし、主に祈るとき、必ず、魂の憩いに回復されます。彼は、「私のたましいよ。おまえの全きいこいに戻れ。」と自分の魂に命じています。主は、祈る者に良くしてくださいます。死から、涙から、そして、つまづきから、救い出してくださいます。私達は、今日も祈ります。私たちも、祈りによって、魂の全き憩いに戻らせて頂きましょう。

「私のたましいよ。おまえの全きいこいに戻れ。【主】はおまえに、良くしてくださったからだ。 まことに、あなたは私のたましいを死から、私の目を涙から、私の足をつまずきから、救い出されました。」

4、祈りは、主への献身
12~14節  主が、ことごとく私に良くしてくださったことについて、私は【主】に何をお返ししようか。 私は救いの杯をかかげ、【主】の御名を呼び求めよう。 私は、自分の誓いを【主】に果たそう。ああ、御民すべてのいる所で。

4つ目は、祈りは、主への献身ということです。彼は、「主が、ことごとく私に良くしてくださったことについて、私は【主】に何をお返ししようか。」と自問自答しました。そして、導かれた答えは、「私は、自分の誓いを【主】に果たそう。ああ、御民すべてのいる所で。」というものでした。「自分の誓いを主に果たす」これは、主への献身に他なりません。私に良くしてくださったお方に対して、私たちも、自分の心と身を捧げて、お従いして行きます。祈りとは、献身を告白するときでもあります。

詩篇116篇から、祈りとは何か、4つの面から学びました。
第1に「祈りとは、主を愛すること」であり、
第2に「祈りは、主の憐みを求めること」です。
第3に「祈りは、魂の憩いを得ること」であり、
第4に「祈りとは、主への献身」であります。

私達は、イエスさまを愛する愛でもって、祈ります。主の尽きることのない憐みを求めて祈ります。祈るとき、私たちの魂は、全き安息に入れられます。そして、祈りの中で、私たちは、愛する主への献身を表明するのです。