いつまでも残るものは信仰と希望と愛です―キリストを信じるという生き方ー

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「あなたの重荷を【主】にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない。」(詩篇55篇22節)

1、あなたの重荷を主にゆだねよ
「あなたの重荷を主にゆだねよ」とあります。新改訳聖書の中に「重荷」という言葉は35回出て来ます。しかし、この詩編55篇22節で使われている「重荷」は、エハブというヘブル語ですが、聖書中、ただ1回しか登場しません。「重荷」の他に「くじ」(ロト)という意味もあります。

日本でも「白羽の矢が立った」とか言いますが、おろらく、そういうニュアンスがあるのだと思います。自分で好んで負ったというわけではなく、くじを引いて当たったかのように-もちろん、深い理由があってのことですが―それが、ちょっと大変で-思いがけず負わされた「重荷」です。

突如、ダビデを試練が襲ったようです。その時のダビデの心情が2~5節に、書いてあります。「私に御心を留め、私に答えてください。私は苦しんで、心にうめき、泣きわめいています。それは敵の叫びと、悪者の迫害のためです。彼らは私にわざわいを投げかけ、激しい怒りをもって私に恨みをいだいています。私の心は、うちにもだえ、死の恐怖が、私を襲っています。恐れとおののきが私に臨み、戦慄が私を包みました。」

しかし、その「重荷」を主にゆだねよ。というのです。詩編37篇5節にも「あなたの道を【主】にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。」とありますが、同じ「ゆだねる」でも、こちらは、「放り出せ」という意味です。「あなたが、思いがけず負わされた重荷を、主に放り出せ」というのが、原語のニュアンスに近いと思います。自分の手から放して、主の御手の中に、放り出すのです。

2、主が心配してくださる
この「心配してくださる」というのも、へブル語では、「計る」という意味があります。私は、こう考えました。主は、その「重荷」の重さを計られるのです。そして、あまりにも重た過ぎて、私たちが倒れてしまわないように、ちょうど良い重さに調整してくださるという意味ではないか。と。

「心配」とは、「心を配る」と書きます。神様は、私たちひとりひとりに、私たちの全生涯に、心を配っておられます。神様は、その「重荷」の「重さ」を、完全にゼロにすることは、はなさらないでしょう。そうではなく、私たちが、担えるだけの、ちょうど良い、ジャストの重さを計って調整してくださるのです。

イエス様は、仰いました。「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」

山を歩くとき、リュックが余り良いものでないと、重さがすべて、肩に掛かります。肩に食い込んで、夜、寝るとき、肩に痛みを覚えます。良いリュックは、肩と腰、背中全体に重さを分散して、バランス良く背負うことが出来きます。主イエス様が背負合わせてださるくびきとは、まさに、そのような重荷でしょう。軽すぎず、重すぎず、私たちの成長にとって、ちょうど良い重さの重荷を負わせてくださるのですね。

ですから、「あなたの重荷を主にゆだねよ」というのです。主は、その重荷を受け取って、重さを計り、再調整して、ちょうど良い分量の重荷を、私たちに、背負わせてくださいます。重荷を、裸のままで、背負ってはいけません。主が与えてくださる、極上のリュック入れて背負わないといけません。そうでないと、体を壊してしまいます。

主が、重さを計り、再調整して、背負わせてくださる重荷は、重すぎることはなく、むしろ、軽く感じるほどです。だから、一旦、イエス様の御手に託して、再調整してもらうことが、どうしても、必要なのです。それが、「祈り」です。祈りを通して、私たちの重荷を、主にゆだねます。

3、正しい者がゆるがされることはない
3つ目は、「正しい者がゆるがされることはない」とうことです。
これは、主に信頼する者は、決して、冷酷な運命に流されることはないという意味ですね。何故なら、主が、力ある右の手で、私たちを支えていてくださるからです。台風10号が、北海道と北東北に大きな被害をもたらしました。多くの川で、氾濫ぎりぎりのとことまで、濁流が押し寄せて来ていました。

詩篇 32篇6節「それゆえ、聖徒は、みな、あなたに祈ります。あなたにお会いできる間に。まことに、大水の濁流も、彼の所に届きません。」とあります。主に祈って、委ねるとき、私たちは、冷たい運命の濁流に、決して流されることはありません。主が盾となり、砦となって、私たちを守ってくださるのです。たとえ、世の嵐によって、すぐそこまで、濁流が押し寄せてきても、主が、私たちを守ってくださいます。

現在、地上生涯のまさに最後のコースを走っている姉のために、また、私たちが、抱えている「重荷」のためにも、お祈りいたしましょう。その重荷を、裸のまま、背負ってはいけません。必ず、祈りの中で、主に重さを再調整して頂く必要があります。重すぎて、倒れてしまわないようにです。主が再調整してくださる重荷は、軽いのです。

「 あなたの重荷を【主】にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない。」