いつまでも残るものは信仰と希望と愛です―キリストを信じるという生き方ー

img_1873

◆2、3節 【主】はヨシュアに仰せられた。「見よ。わたしはエリコとその王、および勇士たちを、あなたの手に渡した。あなたがた戦士はすべて、町のまわりを回れ。町の周囲を一度回り、六日、そのようにせよ。

◆10節 ヨシュアは民に命じて言った。「私がときの声をあげよと言って、あなたがたに叫ばせる日まで、あなたがたは叫んではいけない。あなたがたの声を聞かせてはいけない。また口からことばを出してはいけない。」

◆13、14節 七人の祭司たちが七つの雄羊の角笛を持って、【主】の箱の前を行き、角笛を吹き鳴らした。武装した者たちは彼らの先頭に立って行き、しんがりは【主】の箱のうしろを進んだ。彼らは進みながら角笛を吹き鳴らした。 彼らはその次の日にも、町を一度回って宿営に帰り、六日、そのようにした。

◆4、5節  七人の祭司たちが、七つの雄羊の角笛を持って、箱の前を行き、七日目には、七度町を回り、祭司たちは角笛を吹き鳴らさなければならない。 祭司たちが雄羊の角笛を長く吹き鳴らし、あなたがたがその角笛の音を聞いたなら、民はみな、大声でときの声をあげなければならない。町の城壁がくずれ落ちたなら、民はおのおのまっすぐ上って行かなければならない。」

ヨシュア記6章の「エリコの戦い」の記事は、普通では考えられないような、不思議な方法で、イスラエルが勝利したことが記されています。これは、現代の私たちにとって、どのような意味があるのでしょうか。

1、堅く閉ざされた課題
1節 エリコは、イスラエル人の前に、城門を堅く閉ざして、だれひとり出入りする者がなかった。

イスラエルが、約束の地カナンに入り、初めての大きな戦いが、エリコとの戦いでした。エリコの町は、泉がわき、緑も豊富なオアシスでした。エリコは、人類史上、最も歴史が古い町のひとつで、二重の城壁で囲まれていました。エリコの人達は、イスラエルが攻めてくると聞いて、城門を堅く閉じて、誰も出入りできない状態でした。

エリコは、私たちにとっては、「祈りの課題」と置き換えることができるでありましょう。私たちは、様々な、難しい問題の為に、祈りを要しています。愛する家族の救いのため、友人のため、お祈りしても、お祈りしても、良くなる兆しが見えてこない。扉は固く閉ざされたままということがあると思います。

その門が、あまりにも、堅く閉ざされているので、もう、何をやっても、崩れないのではないかと、あきらめてしまいそうになることがあるかもしれません。そういう意味では、今、私たちもまた、エリコの戦いを戦っているのです。この記事は、難しい現実の問題に対して、クリスチャンが、どうお祈りをして行けばよいのか、教えています。

2、主による勝利の約束
2節 【主】はヨシュアに仰せられた。「見よ。わたしはエリコとその王、および勇士たちを、あなたの手に渡した。

高く聳え立つ城壁を前にして、神様は、ヨシュアに言います。「見よ。わたしはエリコとその王、および勇士たちを、あなたの手に渡した。」「渡した」というのは、完了形です。現実には、未だ何も起こっておらず、人々の目には、全く見えていませんが、神様の目には、既にその城壁が崩れて、その問題、課題に勝利している様子が見えているのです。

「わたしはすでに世に勝ったのです。」と、イエス様は仰いました。イエス様は、艱難の多い、この世の戦いに、既に勝利されました。そして、「イエスを神の御子と信じる者」もまた、その勝利の行列に加えて頂くことが出来るのです。私たちは、祈りによって、主の勝利に与ることが出来ます。

3、黙って祈り続ける
3~5節  あなたがた戦士はすべて、町のまわりを回れ。町の周囲を一度回り、六日、そのようにせよ。七人の祭司たちが、七つの雄羊の角笛を持って、箱の前を行き、七日目には、七度町を回り、祭司たちは角笛を吹き鳴らさなければならない。祭司たちが雄羊の角笛を長く吹き鳴らし、あなたがたがその角笛の音を聞いたなら、民はみな、大声でときの声をあげなければならない。町の城壁がくずれ落ちたなら、民はおのおのまっすぐ上って行かなければならない。」

なんとも、不思議な方法です。堅く門が閉じられたエリコの町の周りを、6日間、1周しなさいというのです。主の契約の箱を中心にして、一言も声を出さず、黙って、ただ、廻れというのです。10節に「私がときの声をあげよと言って、あなたがたに叫ばせる日まで、あなたがたは叫んではいけない。あなたがたの声を聞かせてはいけない。また口からことばを出してはいけない。」とあります。

そして、7日目はは、7回周り、祭司が角笛を吹き鳴らしたら、民は、大きな声で、時の声を上げます。すると、びくともしなかった城壁が、見事に崩れ落ちのです。これは、何を意味しているのでしょうか。これは、私たちが直面している問題、課題に対して、とにかく、黙って、主に祈れということではないでしょうか。「ああしなさい。」とか「こうしなさい」とか、余計なことは何も言わず、ただ、黙って、主に祈るのです。

主の定めの時が来るまでです。それが、1年なのか、3年なのか、10年なのか、あるいは、30年なのか、50年なのか、もしかしたら、主に召されて、天に帰った後なのか。それは、分かりません。主が、今がその時だ。という、その時まで、黙って祈り続けるのです。時が来たら、必ず、城壁は崩れます。主に信頼し、主にのみ期待して祈る、信仰の祈りには、力があります。Ⅱコリント 10章4節に「私たちの戦いの武器は、肉の物ではなく、神の御前で、要塞をも破るほどに力のあるものです。」とある通りです。

「石の上にも3年」ということわざがあります。冷たい石でも、3年座り続ければ、温まることから、辛くても、忍耐をもって、続けて行けば、いつか成し遂げられるという意味です。雨水が、石の上に、ぽたぽた落ちて行くと、やがて、石に穴が開きます。液体の水が、固い石に勝利するのです。

EMバウンズは、「祈りは死なない。」と言いました。「祈った人が世を去った後にも、祈りは後に残って活動を続ける。祈りによって、私たちは後世まで、子孫に尽くすことが出来る。祈りは、人が後の世に残すことのできる最大の遺産である。」

私たちも、忍耐をもって、祈り続けたいと思います。たとえ、目に見えるところが、一向に変わらなくても、信仰をもって、祈り続けましょう。10年後、20年後、30年後、40年後、50年後、いや、私たちが、地上を去って、天の召された後かもしれませんが、必ず、城壁が崩れる日が来ます。黙って、主に祈る。それが勝利に繋がります。

2 、3節 【主】はヨシュアに仰せられた。「見よ。わたしはエリコとその王、および勇士たちを、あなたの手に渡した。 あなたがた戦士はすべて、町のまわりを回れ。町の周囲を一度回り、六日、そのようにせよ。