いつまでも残るものは信仰と希望と愛です―キリストを信じるという生き方ー

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M170201祈り会 「恐れないで、ただ信じていなさい。」 マルコ5:35~43 418

1、ヤイロの祈り
49節 イエスがまだ話しておられるときに、会堂管理者の家から人が来て言った。「あなたのお嬢さんはなくなりました。もう、先生を煩わすことはありません。」

この会堂管理者の名前は、ヤイロといいます。22、23節には、こう書いてあります。
22、23節 すると、会堂管理者のひとりでヤイロという者が来て、イエスを見て、その足もとにひれ伏し、いっしょうけんめい願ってこう言った。「私の小さい娘が死にかけています。どうか、おいでくださって、娘の上に御手を置いてやってください。娘が直って、助かるようにしてください。」

42節では、この小さな娘さんは12歳くらいであったとその年齢も書かれてありますが、ヤイロの娘が病気で、死にかけていたのです。父であるヤイロは、娘を何とか助けたいと思い、イエス様のところにやってきて、娘を治してくれるよう、一生けん命イエス様にお願しました。

イエス様は、彼の家に向かおうとしましたが、その途中、多くの群衆が押し寄せてきて、イエス様を取り囲んでしまいました。そして、イエス様は身動きがとれず、別の人を癒しておられる間に、ヤイロの娘の容態は悪くなり、亡くなってしまいます。ヤイロの家から、使いのものが、ヤイロのもとにやってきて、こう言いました。「あなたのお嬢さんはなくなりました。もう、先生を煩わすことはありません。」

36節 イエスは、その話のことばをそばで聞いて、会堂管理者に言われた。「恐れないで、ただ信じていなさい。」

イエスは、その言葉をそばで聞いてとあります。イエス様は、ヤイロのそばにいて、娘さんが亡くなったという知らせを聞きました。イエス様には、ヤイロの気持ちが、よく分かったと思います。ヤイロの顔がみるみる失望と悲しみに代わってゆくのが、見えたと思います。そして仰いました。「恐れないで、ただ信じていなさい。」

2、恐れないで。
「恐れないで、ただ信じていなさい。」これが、今晩のみ言葉です。このイエスさまのお言葉には、2つ、いや3つのメッセージがあると思います。一つは、「恐れないで」ということです。娘が死んでしまったと聞いて、恐れない親はいないでしょう。恐れないどころか、「もう終わりだ」と失望と悲しみに打ちひしがれるでしょう。

しかし、イエス様は、「恐れるな」と言われました。「悪い知らせを聞いても、恐れるな。」と。ヤイロにとって、「娘が死んだ」という知らせは、最悪の知らせでした。「もうすべてが終わってしまった。これまでの祈りも、努力も無駄に終わった。」そう思ったことでしょう。しかし、イエスさまは、「恐れないで」と言われました。「あなたは、悪い知らせをきいた時も、恐れてはいけない。」と言われたのです。

どうして、そんなことが出来るのでしょうか。それは、イエスさまが、いっしょにおられ、そばで聞いておられるからです。イエス様がそばで聞いていてくださるなら、どんな知らせであっても、それは悪い知らせで終わるこことは、ありません。死でされも、終わりではないのです。イエス様が、私たちのそばで、その知らせを一緒に聴いていてくださるから、恐れる必要はないのです。

3、信じていなさい
2つ目のメッセージは、「信じていなさい。」ということです。最初、ヤイロは、娘を救ってくださるのは、イエスさましかないと、信じて、一生けん命にお願いしました。しかし、家から遣い者がやってきて「あなたのお嬢さんはなくなりました。なぜ、このうえ先生を煩わすことがありましょう。」と言いました。

遣いの者は、「イエス様にお願いすることも、イエス様にお頼りすることも、もう、止めてください。」と言ったのです。この家の者の言葉には、少しとげがあるような気がします。お忙しいイエス様の為を思って言ったのでしょうか。しかし、ヤイロの気持ちは全く考えていないように聞こえます。

サタンも、私たちにこうつぶやいてくることがあります。「もう、こうなった以上、どうにもなりませんよ。もう、終わりですよ。諦めなさい。イエスさまを信じても無駄ですよ。」と。サタンってやつは、やっぱり意地悪ですね。しかし、イエス様は、ヤイロのそばで、その言葉を聞いておられました。そして、ヤイロに言います。「恐れないで、ただ信じていなさい。」

「恐れないで、ただ信じていなさい。」どういう状況でも、私たちのすべきことは、「主を信じる」ということです。たとえ、絶望的な状況でも、イエス様を信じていなさいというのです。サタンは「もう終わりだ。」とか「もう信じることをやめてしまいなさい。」と、つぶやいてきます。しかし、そういう言葉に耳を貸してはなりません。私たちが、耳を傾けるのはイエス様のおことばです。目に見える状況がどうであれ、イエスさまを信じていればよいのです。

3、ただ、信じていなさい
3つ目のメッセージは、「ただ、信じていなさい」ということです。「ただ」ギリシャ語では、モノスという言葉です。イエス様は「信じていなさい」と言わず「ただ、信じていなさい」と仰いました。「あなたは、ただ信じていればよい。」というのです。「え、信じているだけでいいのですか。」「もっと自分で何かしなければいけないのではないですか。」とヤイロは思ったかもしれません。

しかし、イエスさまは、言われたのです。「恐れないで、ただ信じていなさい。」「自分で、ああだ、こうだと、心配するのはやめなさい。」「右往左往して、あちこちと動きまわるはやめなさい。」「恐れないで、ただ信じていなさい。それが、今、あなたに必要なことです。」と、イエス様は仰ったのです。もし、ヤイロが、イエス様の忠告を聞かず、別のところに助け求めて走っていったら、娘は直らなかったでしょう。

ヤイロは、イエス様のお言葉を受け入れました。そして、イエス様を信じて、イエス様といっしょに、家に帰って行きました。家では、人々が、取り乱し、大声で泣いたり、わめいたりしていました。イエスさまは、その子のところに行って「タリタ、クミ」「少女よ。起きなさい。」と。すると、彼女は起き上がったのです。不思議な出出来事です。

私たちの直面する課題は、それぞれ違います。皆がヤイロのように行く訳ではありません。しかし、主を信じ、期待し続けて行くなら、主は、私たちの思いを超えて、最善を行ってくださるのです。今晩、イエスさまは、私たちにも「恐れないで、ただ信じていなさい。」と語っておられるのではないでしょうか。

「イエス様を信じて安心する。」ただ、それだけです。「それでいい。」と、イエス様は言われます。恐れることも、疑うこともせず、ただ、イエス様を信じて、主の御業を待ち望む。それが信仰です。「ほんとうに、ただ信じていいのですか」。そうです。イエス様がそう仰っておられるのですから。今晩、お言葉通り、私たちも、ただ、主を信じて安心しましょう。主が助けてくださるのを待ちましょう。

35、36節 イエスが、まだ話しておられるときに、会堂管理者の家から人がやって来て言った。「あなたのお嬢さんはなくなりました。なぜ、このうえ先生を煩わすことがありましょう。」イエスは、その話のことばをそばで聞いて、会堂管理者に言われた。「恐れないで、ただ信じていなさい。」