いつまでも残るものは信仰と希望と愛です―キリストを信じるという生き方ー

M170215 「それをここに持って来なさい」 マタイ14:15~21  405

有名な5千人の給食の記事です。大勢の人たちが、人里離れた場所に集まっていました。イエス様は、静かにお祈りなさろうと、自分だけで寂しい所に出て行かれまたたが、大勢の人たちが、イエス様について行きました。ある人は、イエスさまに病気を治してもらう為、あるいは、イエス様を一目見てみたい、いろいろな理由があったと思いますが、結果的に、周りに家も、店もないような場所に、多くの人たちが集まって来たのです。

夕暮れが近づいてきました。弟子たちは、これからどうすべきか、心配になりました。それで、イエス様に言いました。
15節  「ここは寂しい所ですし、時刻ももう回っています。ですから群衆を解散させてください。そして村に行ってめいめいで食物を買うようにさせてください。」

弟子たちには、とても自分たちで何とか出来る状況ではないと思われたのですね。こんな寂しい場所で、こんなに大勢の人達がいて、食事もせず、このまま夜になったら、いったい、誰が責任を取るんだろう。お腹がすいて倒れたり、具合の悪くなる人が出たりしたら、大変なことになる。そう思ったのかもしれません。だから、早く解散させて、自分たちでなんとするように仰ってくださいと、イエス様に訴えたのです。

しかし、イエスはこう言われました。16節「彼らが出かけて行く必要はありません。あなたがたで、あの人たちに何か食べる物を上げなさい。」弟子たちは、「えー。そんな。」と言ったかもしれません。しかし、とにかく、どのくらい食料があるか、調べました。調べた結果、弟子たちはイエスに言った。17節「ここには、パンが五つと魚が二匹よりほかありません。」

ヨハネの福音書 6:9にはこうあります。「ここに少年が大麦のパンを五つと小さい魚を二匹持っています。しかし、こんなに大ぜいの人々では、それが何になりましょう。」

弟子たちは、イエス様にお答えしました。「ここには、パンが五つと魚が二匹よりほかありません。」「たった、これっぽっちです。とても、とても間に合いません。全然足りません。」いくら計算してもしなくても足りません。たった一人分のお弁当で、男子だけでも5千人以上の人々のおなかを満たすことなど、無理ですと、言ったのですね。

同じような状況が、私たちの現実にも起こることがあるのではないでしょうか。「この状況を、何とかしなければならない。」「でも、とても間に合わない。」現実を見れば、「不可能」としか見えないのです。「牧師の人数が足りません。これだけです。」私たちは、自分たちの乏しさに、打ちのめされそうになります。しかし、イエスさまは、こう仰いました。
18節 すると、イエスは言われた。「それを、ここに持って来なさい。」

「それを、ここに持って来なさい。」直訳すると、「あなた方は持って来なさい。私に。ここに。それを。」「ここに」というのは、むしろ、「わたしのところに」と言った方がよいと思います。イエス様は「それ(2匹の魚と5つのパン)をわたしのところに持って来なさい。」と言われたのです。弟子たちが「たったこれっぽっちです。こんなんじゃ、とても足りません。」「たったこれだけでは何になりましょう」と言った少年1人分のお弁当、それを、わたしのところに持って来なさいと言われたのです。

19節  そしてイエスは、群衆に命じて草の上にすわらせ、五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて、それらを祝福し、パンを裂いてそれを弟子たちに与えられたので、弟子たちは群衆に配った。

弟子たちは、そのお言葉に従って、イエス様のところに持って行きました。そして、イエス様の手に渡しました。イエスさまは、それをお受け取りになり、天を見上げて、それらを祝福し、パンを裂いてそれを弟子たちに与えられました。弟子たちは、それを人々に配られました。すると、不思議なことに、人々はみな、食べて満腹し、パン切れの余りを取り集めると、十二のかごにいっぱいありました。まさに、奇跡としか言いようがありません。「5千人の給食の奇跡」と呼ばれます。私たちは、この出来事から、私たちの信仰について学ぶことが出来ると思います。

私たちが、「これだけしかありません」と思ったとしても、イエスさまは、「それをわたしのところに持ってきなさい。」と仰います。イエス様は、それをお受け取りなり、幾重にも祝福し、必要を満たしてくださいます。「主イエスさまの御手の中で、事態は、変わる」ということです。

いつ、パンが増えたか、どうやって、増えたのか、それは、私たちには、良くは分かりません。しかし、大事なことは、イエスさまのところに持って行ったということです。そして、イエス様が、幾倍にも増やして、すべての必要を満たしてくださったということです。弟子たちは、現実を見て「たったこれっぽっち」「それが何になりましょう」と言いました。私たちも、つい、同じことをしてしまいます。厳しい現実を見て、「主よ、課題が大きすぎて、どうにもなりません。もうお手上げです。」と諦めてしまいそうになります。

しかし、イエス様のお答えは、昔も、今も変わりません。「それを、わたしのところに持って来なさい。」です。私たちは、祈りの中で、その難しい問題を、イエス様の手に託します。イエスさまは、それをお受け取りくださって、祝福して、私たちに返してくださいます。いつ、どのようにしてかは、私たちにはわかりませんが、結果を見ると、すべての必要が満たされていたということに気が付くのです。

マタ 19:26「それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます。」とあります。イエス様の御手の中で、不可能は、可能に変わるのですね。ですから、今晩も、どのような問題課題であっても、イエス様のところに持って行きましょう。祈りの中で、その問題を、自分の手から放して、イエス様の御手の中に委ねましょう。

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