永遠の友イエス

M130707 「永遠の友イエス」 ヨハネ15:13~17

今日は、いつもより短い時間ですが、「永遠の友イエス」について、心を留めてみたいと思います。皆さんは、友だちをお持ちでしょうか。ある先生は、「人生の問題は、簡潔に言うと『友人問題』だと言っておられました。何でも話すことができ、本当に信頼できる友がひとりいたら、私たちの人生は、楽しいものになると思います。

今日の箇所は、「まことの友」とは、どういう友かということが書いてあります。私なりに、3つに纏めてみました。3つとは、「損得なしに愛する」「何事も包み隠さず言える」そして「いつまでも続く友情」ということです。イエスキリストは、「わたしは、あなたを友と呼ぶ」と仰いました。イエスキリストは、私たちの友となってくださったのです。

①損得なしに愛する
13節 人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。

「まことの友」の第一条件は、損得抜きに愛するということです。箴言に「人の望むものは、人の変わらぬ愛である。」とありますが、残念ながら、世は、状況が変わると、友情も変わることが多いのです。「ブルータス、お前もか」という有名な言葉がありますが、共和制ローマの末期、皇帝ユリウスが議場で暗殺されたとき、古くからの友人で、最も信頼していたブルータスに向かって叫んだ言葉と言われます。残念ながら、人間の友情には限界があります。状況によっては、変わることがある、それが現実ではないでしょうか。

しかし、イエスキリストは、ご自分がどんなに損な立場に追い込まれても、その友情を変えることはありませんでした。「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」イエスさまは、私たちの罪の罰の身代わりとなるために、自ら進んで、十字架で磔にされました。ユダヤ人たちから「十字架から降りて来い」と言われても、イエスさまは最後まで私達への友情を貫かれました。

ローマ 5:6~8 私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。

どんな不利な立場に置かれても、自分の命を犠牲にすることがあっても、イエスさまは、その友情を守り通されました。どんな時でも、変わらぬ愛で愛してくれる友がいる。この友と交わる時、私たちの心は、喜びに満たされます。疲れていた心が、元気を取り戻すことが出来ます。どんな困難や、試練に直面しても、希望を前進できます。イエスさまは、「まことの友」なのです。

②何事も包み隠せず言える
「まことの友」第2の条件は、「何事も包み隠さず言える」ということです。
15節 わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。

私達は、人に、そう簡単に自分の心の奥底を見せたりしないものです。相手に余計な心配を掛けたくないとかとか、自分の弱さを知らたくないとか、いろいろな理由があります。でも、誰にも話さず、黙っていると、だんだんと苦しくなってきます。苦しい時に、苦しいと、痛い時に、痛いと、心配なときに、心配と、何でも言える友がいたら、そしてそれをしっかりと受けとめてくれる友がいたら、どんなに楽になることでしょうか。

イエスさまは、私達に、父から聞いたことを、何一つ包み隠さず、知らせてくださいました。もちろん、その中には、厳しい罪の指摘も含まれていました。しかし、イエスさまは、私たちを愛するが故に、包み隠さず、知らせてくださったのです。ですから、私たちの方でも、心を開いて、何でも話すことが出来ます。こんなこと話したら、イエスさまが困ってしまうとか、叱られるのではないかと心配する必要はありません。イエスさまは、喜んで聞いてくださいます。ただ、聞くだけでなく、私達に最もふさわしいアドバイスを与えてくださるのです。

私達は、イエスさまには、何でもお祈りすることが出来ます。将来の不安も、お金の心配も、健康問題も、人間関係も、ジャンルを問わず、ありとあらゆる問題を打ち明けることができます。いや、打ち明けるべきです。それが、「まことの友」です。イエスさまは神さまですから、何を相談されても、困ることはありません。喜んで助けて下さいます。遠慮するのは、かえって失礼です。イエスさまでも、受けとめられないと、否定しているようなものです。

③いつまでも続く友情
「まことの友の3つめの条件、それは「いつまでも続く友情」です。
16節  あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。

かたじけないことですが、イエスさまの方から、私達を友として、選んでくださいました。そして、その友情は、一度きりの友情ではなく、いつまでも続くのです。死でさえも、この友情を終わらせることは出来ません。いや、死を超えて、ますます固く結びつくのが、イエスキリストとの友情です。何故なら、死からよみがえって今も生きておられるイエスさまと、固い友情で結ばれて行くことこそ、永遠のいのちそのものだからです。この友情の実は、死を超えて、永遠に残ります。イエスさまは、永遠のいのちの実を実らせるために、私達を友として選ばれました。

地球上に60億の人がいても、イエスさまは、わたしのただひとりの「まことの友」です。たとえ、すべての人が見離したとしても、イエスさまは、見捨てることがありません。イエスさまは、いつも私の側に立ち、私を弁護し、私の味方となってくだいます。イエスさまという友がいる、これは、人生最大の宝であると思います。いくらお金を出しても買うことができない宝です。

私達も、十字架のイエスさまの前に、ひざまずいて、「はい。イエスさま、私の友となってください。よろしくお願いします。」とお願いすればよいのですね。そこから、イエスさまとの友情がスタートします。そして、イエスさまとの友情が深められて行くとき、知らず知らず、私達もイエスさまに似てくるのですね。14節にありますように、私達が、イエスさまのお心を行うときに、私達もイエスさまの友となって行くのです。

イエスさまは、「わたしは、あなたと友になりたい。」と招いておられます。イエスさまと友になる時、人生が変わりはじめます。この友といっしょなら、人生、楽しくなります。どうか、心を開いて、主イエスさまを、生涯の友、永遠の友として、人生にお迎えいたしましょう。

15節 わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。

13節 人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。

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