1月5日(日)午前10時~11時30分 新年礼拝

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「あなたがたは世の光です。
あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。」
マタイ5章14~16節

今年、深川教会と釧路教会に与えれた年間標語聖句です。

「あなたがたは世の光です。」これは、十二弟子が任命された直後、ガリラヤ湖の山の上で語られたイエスさまの言葉です。十分訓練された訳でもなく、まだまだ成長途上にあった弟子たちに対して語られました。客観的に見れば、とても「世の光」と言る状態ではありませんでした。しかし、イエス様は、そんな彼らに、「あなた方は世の光となるであろう。」と未来形ではなく「世の光です。」と言われたのです。

いったい、これはどういうことなのでしょうか。「あなた方は、品行方正で、完璧な人格者として、模範を示しなさい。」ということだとしたら、ものすごいプレッシャーです。「とても無理です。」と引いてしまいます。そういう意味ではないと思います。「まことの光」として来られたイエス様を信じる信仰によって、イエス様の光が、私たちの心に灯されるようにしなさい。そして、内側からその光が輝き出るようになりなさい。ということだと思います。

私達に出来る事は、机の下に置かないこと、つまり、「隠さない」ことです。イエス様を信じるとき、私たちのうちに光が与えられています。信仰によって、私達の心とイエスさまの心が一つとなってゆくとき、自ずと、光は輝き出るのです。言葉を換えていうなら、聖霊に満たされることです。聖霊は、油に例えられます。信仰の炎は、聖霊の油注ぎを受けて、明るく燃え続け、自ら輝いて行きます。

「傷のない完璧な栄光」というよりも、「赦され、癒され、弱さを通して表わされる神の栄光」と言えると思います。人々が崇めるようになるのは、「人」ではなく、光を与えてくださった「天の父」です。神のご慈愛、神の赦し、神の憐み、神の愛こそ、この世を照らす光なのです。あまりにも強い光は、まぶし過ぎて、恐れを抱かせます。しかし、私達の弱さを通して、イエス様の光が輝くとき、その光は、同じ悩みや苦しみにある人たちに、希望を与え、励ましを与えるようになるのだと思います。

今年、私達のうちに、聖霊の火が、あかあかと燃やされて行きますように。そして、その光が、私達の思いや、言葉、行いとなって、表現されて行きますように。そうして、ひとりでも多くの方が、イエス様の光を求めて、主に近づいて来ますように。

☆聖餐式があります。
☆午後は、企画運委委員会です。

☆13日(月・成人の日)は、中目黒教会で、新年聖会があります。

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