2月2日(日)午前10時~11時30分 ウエルカム礼拝

「罪を赦す力」
マルコ2:3~12

中風の人に『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて、寝床をたたんで歩け』と言うのと、どちらが易しいか。 しかし、人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたが知るために──。」そう言って、中風の人に言われた。「あなたに言う。起きなさい。寝床を担いで、家に帰りなさい。」すると彼は立ち上がり、すぐに寝床を担ぎ、皆の前を出て行った。それで皆は驚き、「こんなことは、いまだかつて見たことがない」と言って神をあがめた。

「イエス・キリストは「人の子(イエス・イリスト)が、地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたが知るために」と言われました。「罪を赦す権威」とはどのようなものでしょうか。

子どもでもおとなでも、「ごめんね。」「いいよ。赦すよ。」和解する場面は感動的です。「ああ。よかった。」と胸をなでおろします。自分の非を認め、心からお詫びして、その思いが相手に受入れてもらえた瞬間、和解が成り立つのだと思います。

この世の裁判においては、裁判官が、罪の重さジャッジし、その償いとして罰を与えます。罰金であったり、禁固であったり、その刑罰を払い終えると、釈放されます。その場合、「罪を赦す権威」は、誰が持っているのでしょうか。裁判官でしょうか。それとも、原告なのでしょうか。いくら、裁判官から無罪と言われても、被害を受けた原告の赦しがなければ、「罪の赦し」は完結したとは言えないでしょう。

イエス・キリストが持っている「罪を赦す権威」の「赦し」は、ギリシャ語でにアフィエイミと言いますが、辞書によると、主に三つの意味が込められているようです。➀leave(去る)➁forgive(免除する)⓷Suffer(受ける)の三つです。

➀と➁に関して、象徴的な場面が聖書に出てきます。姦淫の現場で捕らえられた女性に対して、群衆は石打にするように訴えました。しかし、主イエスは、黙って地面に何かを書いておられました。訴える人たちに向かって、「あなたがの中で、罪のない人が、最初に石を投げなさい」と言われました。すると、年長者からはじめ、その場を去って行きました。イエスさまは、彼女に「私もあなたを罪に定めない。安心して行きなさい。これからは、罪を犯してはならない。」と言われ、彼女をその場から去らせました。

⓷のsufferについては、まさにキリストの受難 suffering を思い起こします。罪を赦すとは、天と地において一切の権威をもっておられる神のひとり子であるイエス・キリストが、「あなたを罪に定めない。」と言われただけでなく、キリストご自身が、十字架上で、「罪の刑罰を(私達に代わって)受けれらた」ということが含まれているのです。キリストの受難(suffering )がなければ、罪の赦しは成立しません。主イエス・キリストの「罪を赦す権威」は、キリストの十字架という根拠があるのです。

誰でも、イエス・キリストを救い主として信じるなら、罪が赦され、神との和解することができ、安心して生きて行くことが出来ます。あなたも、十字架に掛かられたイエス・キリストの赦しと愛を受け入れ、悔い改めて、赦された者として、安心して生きて行きませんか。どうぞ、ウエルカム礼拝においでください。お待ちしています。

☆聖書、讃美歌備え付けがあります。
☆「救いの体験談」が語られます。
☆礼拝で席上献金のかごが回りますが、する。しない。金額、ごすべてご自由です。

☆お知らせ-2月8日(土)は、ファンファンフィンランド2回目があります。今回は、ミカエルさんと一緒に、シナモンロールを作ります。ご参加をお待ちしています。

☆お知らせ2-2月11日(月)は、富士見台教会でCS講習会です。聖書の暦と、「過越しの祭り」「五旬節の祭り」「仮庵の祭り」の由来、意味が分かると、聖書の理解が深まります。お昼には、エサウがヤコブに「 どうか、その赤いのを、そこの赤い物を私に食べさせてくれ。」(創 25:30)と言った「レンズ豆のスープ」を味わってみましょう。もしかしたら、エサウの気持ちが分かるかも知れません。

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