受難週の霊想 4月6日(月)

4月6日の朝、撮影

4月6日(月)【宮きよめ】

マルコ11:15~17 こうして彼らはエルサレムに着いた。イエスは宮に入り、その中で売り買いしている者たちを追い出し始め、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒された。また、だれにも、宮を通って物を運ぶことをお許しにならなかった。 そして、人々に教えて言われた。「『わたしの家は、あらゆる民の祈りの家と呼ばれる』と書いてあるではないか。

黙想と祈り『教会は、祈りの家と呼ばれる』

柔和なイエス様が、めずらしく怒りをあらわにされました。本来、神への祈りを捧げる場所である神殿が、祈りの場ではなく、商売の場所とされていたからです。イザヤ書 56章7節に「わたしは彼らを、わたしの聖なる山に連れて行き、わたしの祈りの家で彼らを楽しませる。・・・わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれるからだ。」とあります。教会とは、第一に「祈りの家」でなければなりません。天においても地においても、一切の権威を持っておられる神を認め、敬虔な思いをもって祈ります。祈りは、神への畏敬の念から出てきます。同時に、祈りは楽しみでもあります。私を愛しておられる方に信頼し、子が親に願うように、どんなことでも求めることが出来ます。コロナ禍中で、今、多くの人が恐れを抱いています。こういう時だからこそ、聖なる畏れと、深い憐みを受けて、主なる神に祈りましょう。主は折にかなう助けを与えて下さいます。

☆自分も、家族もコロナ感染から守られますように。
☆家にいる時間、楽しく過ごせますように。
☆仕事をしている方々が、感染から守られますように。
☆一日も早く収束しますように。
☆キリストの十字架に思いを向けることができますように。

カテゴリー: お知らせ パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です