受難週の黙想 水曜日【ナルドの香油-ベタニヤ村でのしばしの休息-】
ヨハネ12:3~7 一方マリアは、純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ取って、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。 弟子の一人で、イエスを裏切ろうとしていたイスカリオテのユダが言った。「どうして、この香油を三百デナリで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」 彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではなく、彼が盗人で、金入れを預かりながら、そこに入っているものを盗んでいたからであった。イエスは言われた。「そのままさせておきなさい。マリアは、わたしの葬りの日のために、それを取っておいたのです。
黙想 『慰めと勇気を与える香』
マリアは、イエス様の足に高価なナルドの香油を注ぎました。すると、家いっぱいに香油の良い香りが広がりました。マリアのこの行為は、イスカリオテのユダが言うように「無駄」だったのでしょうか。合理的に考えると、そうかもしれません。イエス様は「そのままさせておきなさい。マリアは、わたしの葬りの日のために、それを取っておいたのです。」と喜んでくださいました。「葬りの日のため」とは、どういうことでしょうか。
「良い香り」には、心を安らかにする効果、リラックス効果があります。イエスさまは、十字架を前に、緊張しておられたことでしょう。人の子ですから、疲れも覚えておられたと思います。マリアが注いでくれた香油の香は、緊張していた精神に、安らぎを与えてくれたに違いありません。
また、「良い香り」は、しばしば思い出と結びついています。 私は、エルサレムを何度か訪問し、「エルサレムの街の香」と情景が結びついています。甘くて、少々きつい柑橘系の香なのですが、その香りをかぐと、思い出すのです。そして、不思議と励まされます。
きっと、このナルドの香油の香は、ピラトの裁判のときも、鞭を打たれたときも、茨の冠を被らせられたときも、十字架をかついで、ゴルゴダへの道を歩まれたときも、消えなかったと思います。そして、この香は、マリアの献身的な愛を思い起こさせ、苦しみの中で、イエスさまを勇気付けたのではないかと思います。
マリアが注いだナルド油の香は「葬りのため」ではなく「葬りの日のため」でした。 無償の愛から出る小さな親切は、その人が、苦しみの中を通るとき、慰めとなり、励ましになります。今、コロナ感染拡大の中、心が不安でいっぱいになっている方も少なくありません。私たちの小さな親切が、また、小さな祈りが、誰かに、安息の香として届けられますように。
祈り
☆「恐れ」から解放され、安心して、一日を過ごせますように。
☆自分も家族も、感染から守られますように。
☆国、地方自治体のリーダー方の心身の健康が守られ、善きリーダーシップを発揮してもらうことが出来ますように。
☆「小さな親切」をするゆとりが、与えられますように。
☆経済が守られますように。
神のご加護を!
お知らせ⇒今晩7時30分~8時30分 ZOOMによる祈り会があります。一日も早い収束のために、最前線で戦っておられる方々のために、祈りましょう。どうぞ、ご参加下さい。