11月10日(日)午前10時~11時30分 主日礼拝・子ども祝福式

「いのちの土台」
創世記4章25~5章5節
『セツにもまた、男の子が生まれた。セツは彼の名をエノシュと呼んだ。そのころ、人々は【主】の名を呼ぶことを始めた。これはアダムの歴史の記録である。神は、人を創造したとき、神の似姿として人を造り、男と女に彼らを創造された。彼らが創造された日に、神は彼らを祝福して、彼らの名を「人」と呼ばれた。』

☆メッセージは、伊藤安司伝道師です。
☆礼拝の中で、子ども祝福の祈りを捧げます。

☆お昼は、芋煮を予定しています。隣接の芝生広場で行いますので、教会学校の保護者の皆様も、どうぞ、ご参加ください。猿江恩賜公園の紅葉もだいぶ色づいてきました。

☆午後は、今年最後のスモールグループと組会です。

お知らせ1
おたのしみ絵画教室、楽しく、「まつぼっくり」と「ピーマン」を描きました。次回は、12月5日(木)午前10時~12時です。テーマは、水彩画「カップ」を描きます。

 

 

 

 

 

 

お知らせ2

OPENCAFE2回目も、多くの方に来て頂き、ありがとうございました。用意したものは、ほぼなくなりました。次回は、11月15日午後5時30分~8時30分です。

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11月3日(日)午前10時~11時30分 ウエルカム礼拝

「永遠のいのちを持つため」
ヨハネ3章13~21節

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」

星野富弘さんの『いのちより大切なもの』という本の中に、このような詩があります。

いのちが一番大切だと思っていたころ
生きるのが苦しかった
いのちより大切なものがあると知った日
生きているのか嬉しかった

「いのちより大切なもの」って何ですか?とよく聞かれたそうです。ところが、3・11の震災以降、その質問を聞かなくなったと書いておられました。この「いのち」とは、「地上で生きるいのち」「地上限定のいのち」と言っても良いかもしれません。「いのち」は大事です。お金より、仕事より、名誉より、いのちは大事です。しかし、地上のいのちが、人にとって全てだとしたら、希望があるのでしょうか。

「いのりより大事なもの」それは、イエス・キリストが与えてくださる「永遠のいのち」だと、私は思います。「永遠のいのち」とは「神のいのち」であり、「死んでも生きるいのち」(ヨハネ11:25)です。神の愛の中に、憩ういのち。神の愛ときよさの中に、感謝と喜びと希望をもって生きるいのち。だれでも、キリストの十字架の贖いによって、信仰により、「永遠のいのち」を持つことができるのです。

この「いのちの光」は、イエスキリストのうちかに、輝いています。救いを求め、真理を探している人は、光の方に来ます。「求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれでも、求める者は受け、探す者は見出し、たたく者には開かれます。」
あなたも「いのちより大事なもの」を見つけませんか。

☆聖書、讃美歌備え付けがあります。スクリーンにも出ます。
☆初めての方も、ウエルカムです。世界のベストセラー「本の中の本」「聖書」を分かりやすくお話します。
☆実際に「救われた」体験談を、一人のクリスチャンがお話しくださいます。
☆礼拝ですので、席上献金のかごが回りますが、すべてご自由です。
☆ぜひ、おいでください。お待ちしています。

⇒お知らせ1
11月7日(木)午前10時~ おたのしみ絵画教室 2回目  テーマ「色鉛筆」
*2回目からでも、参加可能です。
*1回目の様子です。

⇒お知らせ2
11月8日(金)午後5時30分~8時30分 OPEN CAFE 2回目
*1回目、初めてでしたが多くの方に来て頂きました。感謝します。
*2回目は、更に充実した内容を予定しています。ぜひ、お立ちよりください。
*1回目の様子です。

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10月27日(日)午前10時~11時30分 主日礼拝・献児式

創立記念礼拝
「インマヌエル-うちにおられるキリスト-」
コロサイ1:24~29

『この奥義が異邦人の間でどれほど栄光に富んだものであるか、神は聖徒たちに知らせたいと思われました。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。 私たちはこのキリストを宣べ伝え、あらゆる知恵をもって、すべての人を諭し、すべての人を教えています。すべての人を、キリストにあって成熟した者として立たせるためです。 このために、私は自分のうちに力強く働くキリストの力によって、労苦しながら奮闘しています。』

「インマヌエル綜合伝道団」という名前は、創設者の蔦田二雄牧師が、戦時中のキリスト教弾圧によって牢獄に入られていたとき、劣悪な環境であるにかかわらず、「主が共におられる」という、リアルな平安に満たされていた、その体験に由来しています。(インマヌエルというのは、ヘブル語で「神は、我らとともにおられる」と言う意味です)

創立の原点に帰って、キリストのかだである教会の中に、目には見えませんが、復活のキリストがおられることを、もう一度、再認識したいと思います。パウロは、この奥義をあらゆる方法をもって、人々に伝えたいと願いました。蔦田先生も、あらゆる知恵をもって福音を伝えようとして「綜合伝道団」という名前を付けたのです。その目指すところは、「聖と宣」キリスト者の成熟でした。

キリストこそ、教会のかしらです。困難な時代であるからこそ、人為的な方策に走ることなく、教会のうちにおられるキリストが信仰によって鮮やかに啓示され、ひとりびとりが、その奥義を体験し、うちに力強く働くキリストの力によって、パウロのように奮闘させて頂きたいと思います。

☆礼拝の中で、献児式を予定しています。
☆1周遅れの創立記念礼拝となりました。
☆台風の被害に遭われた方々のため、神の助けを祈ります。支援献金も受付けています。、
☆午後は、川嶋牧師は、白鳥教会の役員会に出席します。

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OPEN CAFE ご案内

⇒売上の中から、台風19号で被災されたか方がへ、支援金をお送りします。

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10月20日(日)午前10時~11時30分 主日礼拝

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「My箱」
Ⅰサムエル4:1~11

*メッセージは、WGM宣教師ザック・マッツ師です。
(川嶋牧師は、十和田教会での御用です)

⇒台風19号で被災された皆様に、天父の助けをお祈りしております。

⇒インマヌエル災害対策室からのニュースレターです。

災害対策委員会より191017 (1)

⇒被災した川越キングスガーデンがボランティアを募集しています。
https://クリスチャン新聞.com/?p=25295
(クリスチャン新聞より)

 

 

⇒お知らせ-24日おたのしみ絵画教室があります。興味がある方は、ぜひ、ご参加ください。

 

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10月13日(日)午前10時~11時30分 召天者記念礼拝

「キリストの再臨と愛する者との再会」
Ⅰテサロニケ5章13~18節

「イエスが死んで復活された、と私たちが信じているなら、神はまた同じように、イエスにあって眠った人たちを、イエスとともに連れて来られるはずです。・・・ すなわち、号令と御使いのかしらの声と神のラッパの響きとともに、主ご自身が天から下って来られます。そしてまず、キリストにある死者がよみがえり、それから、生き残っている私たちが、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、空中で主と会うのです。こうして私たちは、いつまでも主とともにいることになります。ですから、これらのことばをもって互いに励まし合いなさい。」

人は、死んだらどうなるのか。どこへ行くのか。知らずに、生きている人が多いと思います。死は、誰も避けて通れない問題であるにも関わらず、普段は、あまり考えないようにしているのではないでしょうか。それは、「考えてもどうしようもない問題だ」と、諦めているからだと思います。確かに、死は、絶望であり、慰めようがない悲しみです。

しかし、イエスキリストは、死を「絶望」ではなく、「眠り」に変えてくださいました。キリストは、十字架の死によって、罪の贖いを成し遂げ、三日目に蘇り、死に勝利されました。罪という死のとげは、キリストの十字架に打ち込まれ、信じる者にとって、死は、「絶望・断絶」ではなく、「眠り」となりました。キリストを信じる者は、肉体は死んで滅びても、魂は、キリストの安息の中に守られ、やがて「栄光の体」(不死を着た)からだに、復活するのです。

やがて、定められた時に、イエス・キリストは、再び、地上に来られます。その時、主にあって眠った人たちは、復活に与り、キリストとともに来られます。先に天に召された、愛する人たちと、「再会」を喜び合うようになるのです。これが、聖書が示す希望です。クリスチャンにとって、死は、「終わり」や「絶望」ではありません。永遠のいのちの始まりに繋がっているのです。先に召された人たちは、しばらく、イエスにあって眠っていますが、やがて、復活の朝を迎えます。召天者記念礼拝では、キリストの再臨と、愛する者ととの再会という希望を確認します。

☆午後の墓前記念会は、中止といたします。台風が過ぎ去ると思われますが、道路状況や、被害状況が分かりませんので、13日は「中止」とさせて頂きます。
☆予報では、13日の日曜礼拝時には、台風は過ぎ去っているようですが、無理をせず、無理と判断した場合は、ご家庭で礼拝をお守りください。
☆情報に注意し、早めの対応に心がけましょう。

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10月6日(日)午前10時~11時30分 ウェルカム礼拝

「あなたもあなたの家族も救われます」
使徒の働き16章25~34節

看守は明かりを求めてから、牢の中に駆け込み、震えながらパウロとシラスの前にひれ伏した。そして二人を外に連れ出して、「先生方。救われるためには、何をしなければなりませんか」と言った。 二人は言った。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」 そして、彼と彼の家にいる者全員に、主のことばを語った。(29~32節)

イエスキリストを救い主として信じるとき、まず第一に、自分と神様の関係が回復されます。それまで、神とは無関係な人生を送ってきた人が、イエス・キリストの十字架の愛を知り、悔い改めて、神さまの慈しみの中に、立ち返るのです。「孤独」から解放され、いつも、愛する主が共におられる、幸いな人生を送るようになります。

キリストの救いは、自分の救いだけに留まるものではありません。神との関係が回復してくると、人との関係も回復してきます。特に、最も親しい家族との関係が回復してきます。愛は、自分が苦しむことよりも、愛する者が悲しむことを悲しみます。看守は、囚人たちが皆逃げてしまったと思い、家族のことはすっかり忘れ、自殺しようとしました。一家の主人でありながら、残された家族のことなど、全く考えられなかったのです。人は、追い詰められると、自分のことしか考えられなくなります。

しかし、主イエスを信じて救われると、神の愛によって、自己中心性から解放されて行きます。神に愛されている者として、自分を大事にするようになり、隣人をも大事にするようになります。人をお思いやる「ゆとり」が与えられます。罪によって歪んでしまった親子関係、夫婦関係であっても、キリストの十字架の愛によって、回復されてくるのです。

あなたは、家族を愛していますか。ひどい仕打ちをされた親であっても、主イエスの十字架の愛によって、赦していますか。自分を愛するように、伴侶者を愛していますか。子どもたちを愛していますか。家族は、どんな時にも愛するものです。そんな愛は持っていないと悲しむ人は、主イエスを信じてみてください。神の愛こそ、救いです。「主イエスを信じなさい。そうすれは、あなたもあなたの家族も救われます。」

☆第一日曜は、ウエルカム礼拝です。初めての方も大歓迎です。
☆聖書、讃美歌など、備え付けてあります。
☆救いの体験談が話されます。
☆礼拝では、席上献金が回りますが、すべてご自由です。
☆皆様のおこしをお待ちしています。

⇒お知らせ
芸術の秋です。絵を描いてみませんか?

⇒お知らせ-2
ファンファンJapanese-教会の近くにおられる外国人の方々対象です。親子で、やさしい日本語、日本文化を学んでみませんか?

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9月29日(日)午前10時~11時30分 主日礼拝

「いつも心にゆとりをもって」
詩篇4篇

1 私が呼ぶとき答えてください。私の義なる神。追いつめられたときあなたは私を解き放ってくださいました。私をあわれみ私の祈りを聞いてください。
7 あなたは喜びを私の心に下さいます。それは彼らに穀物と新しいぶどう酒が豊かにある時にもまさっています。
8 平安のうちに私は身を横たえすぐ眠りにつきます。【主】よただあなただけが安らかに私を住まわせてくださいます。

あらゆる人間関係、特に、子育てにおいて「ゆとり」「喜び」「平安」は、とても大事なことだと思います。「ゆとり」がなくなると、人生の袋小路に、追い詰められて行きます。とはいっても、私達は、そんなに強くありません。やることが沢山あって、忙しかったり、物事がうまく行かなかったり、試練が続くと、気がめいってきます。イスラエルの王であったダビデも、何度も、苦難を通過しました。

しかし、彼は、苦しみのとき、神に祈ることができました。主に祈ると、神は、追い詰められた心の状態かから解放してくださいました。不思議と、ゆとりが与えられたのです。ゆとりがないと、人に辛く当たってしまいます。子どもに対しても、そういうことがあるのではないでしょうか。本当は、愛しているのに、ゆとりがないために、つい、きつく叱ってしまう。そして、自己嫌悪に陥る。よくあるパターンです。

ですから「ゆとり」を持つことは、とても大事なことです。そして、この「ゆとり」は、神に祈るとき、神から与えれるのです。これは、実際に祈ってみれば、分かります。主イエスは、憐み深いお方です。そして、真実に、祈りに耳を傾けてくださいます。ダビデのみならず、これまで、多くの人が経験してきました。あなたもぜひ、「神がくださるゆとり」を知ってください。

☆午後1時30分から「子育てセミナー」(岡本富郎先生)が開かれます。
☆お子さんを預ける託児がありますので、ゆっくり聞くことができます。
☆長い時間は取れませんが、質疑応答の時があります。
☆入場無料です。ぜひ、気兼ねなく、おいでください。
☆午前の礼拝でも、岡本先生の体験談があります。(礼拝時は、席上献金が回りますが、すべてご自由です。)

 

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9月22日(日)午前10時~11時30分 主日礼拝

「嵐の中の信仰」

使徒の働き27章20~25節
太陽も星も見えない日が何日も続き、暴風が激しく吹き荒れたので、私たちが助かる望みも今や完全に絶たれようとしていた。長い間、だれも食べていなかったが、そのときパウロは彼らの中に立って言った。「皆さん。あなたがたが私の言うことを聞き入れて、クレタから船出しないでいたら、こんな危害や損失を被らなくてすんだのです。しかし今、あなたがたに勧めます。元気を出しなさい。あなたがたのうち、いのちを失う人は一人もありません。失われるのは船だけです。 昨夜、私の主で、私が仕えている神の御使いが私のそばに立って、 こう言ったのです。『恐れることはありません、パウロよ。あなたは必ずカエサルの前に立ちます。見なさい。神は同船している人たちを、みなあなたに与えておられます。』 ですから、皆さん、元気を出しなさい。私は神を信じています。私に語られたことは、そのとおりになるのです。

台風15号は、千葉県を中心に、広範囲にわたって、停電をもたらしました。今もまだ、続いているところもあります。残暑の厳しい中、エアコンもなく、お風呂にも入れない生活は、本当に大変だなあと思います。嵐は、必ずやって来ます。嵐から逃れることは出来ませんが、嵐の中でも、希望をしっかりと持ち、平安のうちに対処して行けたらと思います。聖書の中には、実際に嵐(ユーラクロン)に会い、遭難した出来事が記されています。

何日も太陽も星も見えない中、暴風に翻弄される船の中で、多くの人たちが生きる希望を失いかけてしまいました。しかし、パウロだけは、冷静でした。彼は、望みを失いかけていた人たちに、「元気を出しなさい」と言って励まします。それは、カラ元気ではなく、確かな根拠がありました。パウロは、天地万物を治めておられる神様を知っていました。祈りの中で、救われる確信を得ていました。パウロは、これまでも、何度も経験してきた神の助けを、この時も、確信していたのです。

神さまは、どんな時も、信頼に足る方です。神の聖霊は、恐れに騒ぐ心を、キリストの平安で満たして下さいます。「神はわれらの避け所また力。苦しむときそこにある強き助け。それゆえわれらは恐れない。たとえ地が変わり山々が揺れ海のただ中に移るとも。 たとえその水が立ち騒ぎ泡立ってもその水かさが増し山々が揺れ動いても。」(詩篇46:1~3)

どんな時でも、主イエスキリストは、信頼できる神です。救い主イエスキリストを信じ、その救いを、実際に知っている人は幸いです。この希望、この平安は、現代でも、体験することができます。どうぞ、イエスキリストの救い、守りを知って頂きたいと思います。それが、何よりもの備えであると思います。どうぞ、礼拝に、おいでください。

☆午後は、企画運営委員会です。

☆月曜日は林間聖会です。

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9月15日(日)午前10時~11時30分 主日礼拝

謝恩日礼拝 「忍耐の結末」
ヤコブ5:11 見なさい。耐え忍んだ人たちは幸いだと私たちは思います。あなたがたはヨブの忍耐のことを聞き、主によるその結末を知っています。主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられます。

旧約聖書に登場してくるヨブは、神を敬う敬虔な人でした。ところが、ある日、突然、試練に襲われます。愛する子どもたちが殺され、財産を失い、自分も訳の分からない病気にかかってしまいます。いきなり、試練の中に放り込まれたヨブに、奥さんは、「あなたは、これでもなお、自分の誠実さを堅く保とうとしているのですか。神を呪って死になさい。」(ヨブ記2:9)と、冷たく突き放します。きっと奥さんは、試練に耐えられず、自暴自棄になっていたのではないかと思います。しかし、ヨブは、それでも、「私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいも受けるべきではないか。」と言って、神を信じ続けました。

ヨブは、苦悩を味わいながらも、信仰にとどまり続けました。試練の中にあるヨブのところに、友人たちがやってきて、「試練の意味」について議論します。励ますつもりが、いつの間にか議論となって行きます。いくら正論を言われても、ヨブの心は、慰められません。しかし、実は、ヨブは、この試練を通して、神の深い憐みと大能の力を知り、すべてを神にゆだねることを学んで行ったのです。忍耐を通して、ヨブ自身が変わりました。ヨブは、自分を攻撃した友のために祈ることができるほど、心にゆとりが与えられました。

ヨブ記の結論はこうです。
42:10 ヨブがその友人たちのために祈ったとき、【主】はヨブを元どおりにされた。さらに【主】はヨブの財産をすべて、二倍にされた。
42:12 【主】はヨブの後の半生を前の半生に増して祝福された。。
42:16 この後ヨブは百四十年生き、自分の子と、その子の子たちを四代目まで見た。
42:17 こうしてヨブは死んだ。年老いて満ち足りた生涯であった。

「忍耐の結末」それは、神の慈しみ深さを知ること。それが、現実に明らかにされることです。「忍耐」とは、苦痛を我慢することではありません。聖書的に言えば、どんな状況でも、主イエスキリストを信じる信仰にとどまり続けることです。忍耐とは、受け身の姿勢で、じっと我慢することではなく、神に祈り、祈りの中で、神の慈しみを知り、神を賛美することです。神が通してくださる忍耐の学校は、その時は、辛く感じるものですが、やがて「平安の義の実」(へブル12:11)という、何者にも代え難い賜物を得ることになるのです。

☆謝恩日の礼拝です。聖餐式があります。
☆ご高齢の兄弟姉妹のために、更なる祝福を祈ります。ささやかな祝の品を用意しています。
☆礼拝献金は、引退された牧師たちの厚生資金献金となります。

☆午後1:30から、「おはなカフェ」がひらかれます。
☆齋藤マスターの美味しいコーヒーと、古舘シェフのザッハ・トルテを用意してお待ちしています。
☆楽しい聖書クイズがあります。

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9月8日(日)午前10時~11時30分 主日礼拝

「あなたの道を主にゆだねよ」
詩篇37篇1~11節

【主】に信頼し善を行え。地に住み誠実を養え。 【主】を自らの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。 あなたの道を【主】にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。 主はあなたの義を光のようにあなたの正しさを真昼のように輝かされる。 【主】の前に静まり耐え忍んで主を待て。その道が栄えている者や悪意を遂げようとする者に腹を立てるな。

私達には、ひとりびとり、神が備えたもう道(人生)があります。皆が同じ道を歩むのではなく、それぞれに相応しい道があると、聖書は、教えています。しかし、それは、あらん限りの力を振り絞って、人との競争を勝ち抜いて行くような歩みではありません。聖書は、「あなたの道を主にゆだねよ」と勧めます。「ゆだねる」とは、ヘブル語でガラルと言い「転がす」という意味を含んでいます。「背負う」とき、全ての重さは自分の肩に掛かってきますが、「転がす」とき、重さ自体は、地面が受けとめてくれます。私たちの重荷を受けとめて下さるのは、神さまです。主に信頼して、重荷を下ろすとき、神さまは、しっかりと受け止めてくださいます。私達は、転がすように、押して行けばよいのです。その方が、遥かに「楽な生き方」です。もちろん、「楽な生き方」と「怠ける」ことは違います。「地に住み誠実を養」う生き方です。

ずるいやり方をして成功しているような人を妬んだり、腹を立てたりせず、「肩の力を抜いて、神に信頼して生きる。」そうし続けるとき、神は、私達の人生を「完成」させてくださいます。どんな時も、信仰をもって歩んできたことは正しかった。ということが、明らかにされるのです。あなたの道を、主にゆだねて生きてみませんか。日々、重荷を担ってくださる主が、共に歩んでくださいます。

☆午後は、スモールグループと組会です。

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10月17日スタート! FUN FUN CHINESE 参加者募集中!

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9月23日(月・祝日)林間聖会のご案内

きよめの恵みを求めて、参加しませんか。
一応、8月25日が参加申込締切となっています。
(当日参加も大歓迎ですが、予め、お申込みいただくと感謝です)

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9月29日(日)午後1時30分~ 子育てセミナー「いのち」と「愛」に着目する子育て

少し先になりますが、子育てセミナーを開催します。
講師の岡本先生は、幼児教育の専門家であると同時に、これまで多くの子育ての悩みの相談にのって来られました。
この度、いのちのことば社から、本を出版されました。
質疑応答の時間も設けますので、ぜひ、ご予定にお加え頂ければ幸いです。

PDFはこちらからダウンロードできます。
子育てセミナー201909

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8月25日(日)午前10時~11時30分 主日礼拝

「しっかりしなさい。
あなたの罪は赦された」
マタイ 9:1~8

すると見よ。人々が中風の人を床に寝かせたまま、みもとに運んで来た。イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に「子よ、しっかりしなさい。あなたの罪は赦された」と言われた。(マタイ9:2)

イエスは「彼らの信仰を見て」とあります。「彼ら」とは、誰でしょうか。中風の人を。イエス様の所に連れて来た人たちと、中風の人本人も含まれていると思います。誰かが救われるとき、イエス様を信じた人、本人の信仰が大事なことは、言うまでもありません。しかし、一人の人が救いに与るためには、多くの人の助けがあってのことです。実際に連れて来てくれた人、背後で祈ってくれていた人、サルベーション・チームの信仰によって、彼は、救われたのです。これは、現代の私達にも当てはまると思います。多くの人の助け、祈り、信仰によって、救われたのです。

「しっかりしなさい。あなたの罪は赦された。」とイエス様は、云われました。救われてからの歩みが、大事です。イエスさまさを信じて救われた者として、確かな歩みをしてゆきましょう。主は、私達の人生を変えることができます。「起きて床を取り上げて歩く」と言うのは、確かに素晴らしい奇跡ですが、「罪赦されて、きよく変えられた人生を歩む」方が、もっと大きな奇跡です。イエス様は、私達の人生を「確かな歩み」へと変えてくださいます。

☆洗礼式を予定しています。

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8月18日(日)午前10時~11時30分 主日礼拝

「新しい希望と力と使命」
Ⅱコリント5章全

『だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。』(17節)

罪を悔い改めて、イエスさまを救い主として信じた人は、神によって「新しく」され、日々、御霊によって新しくされ続けて行きます。キリストによって「新しく造られた者」は、以前の人生とは、「希望」「原動力」「使命」が全く違って来ます。御霊によって、内なる人が日々新しくされ、更新され続けて行くのです。

1,新しい希望・・・「 たとえ私たちの地上の住まいである幕屋が壊れても、私たちには天に、神が下さる建物、人の手によらない永遠の住まいがあることを、私たちは知っています。」(1節)キリスト者は、神のくださる「永遠のすまい」という新しい希望を持つようになりました。この保証として御霊が与えられています。

2,新しい力・・・「キリストの愛が私たちを捕らえているからです。」(14節)全ての人の為にいのちを捨てられたキリストの愛が、キリスト者の生きる力、原動力になりました。愛の乏しい者に、御霊によって、神の愛(アガペーの愛)が心に注がれて来ます。

3,新しい使命・・・「和解の務めを私たちに与えてくださいました。」(18節)十字架による贖いを成し遂げてくださった主イエス様は、今度は、私達に新しい使命を与えてくださいました。それは「和解の務め」です。キリストの使節として、神と和解するようにと、聖書の「和解のことば」を委ねられています。私達は、全ての人の良心に、キリストの救いが明らかにされるよう祈り続ける「和解の使者」なのです。

☞キリストにある「新しく造られた者」として、信仰を新たに、歩んで行きましょう。

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8月11日(日)午前10時~11時30分 主日礼拝

「平和のために祈れ」 詩篇122篇

エルサレムの平和のために祈れ。「あなたを愛する人々が安らかであるように。 あなたの城壁の内に平和があるように。あなたの宮殿の内が平穏であるように。」 私の兄弟友のためにさあ私は言おう。「あなたのうちに平和があるように。」 私たちの神【主】の家のために私はあなたの幸いを祈り求めよう。(6~9節)

8月15日、第74回目の日本の終戦記念日を迎えます。

1945年8月6日午前8時15分、広島市上空600メートルで、原子爆弾がさく裂しました。幼子からお年寄りまで、10万人以上の方が亡くなりました。
どうして、こんな残酷なことが、起ってしまったのでしょうか。多くの科学者たちが反対しました。大統領も、こんな惨劇を望んではいなかったと思います。
しかし、現実に、起ってしまったのです。どこかで歯止めを掛けることは出来なかったのでしょうか。
この世は、何もせずにいると、悪に傾いて行くようです。技術は進化しても、世界が平和になるわけではありません。むしろ、争いが激しくなるように見えます。

平和は尊いものです。でも、平和の中にいると、その尊さが分からなくなるのかもしれません。平和が失わたとき、平和が如何に尊いものか、気が付くのです。歴史は、その繰り返しです。聖書は、「平和のために祈れ」と言います。この祈りは、まず、自分の心に「神との平和」(ローマ5章1節)があるように求める祈りです。まずは、私たちの心の中に、そして、家庭の中に、隣人との間に、教会の中に、そして、国と国の間に平和・シャロームがあるようにと、祈ります。

この時、同じ過ちを繰り返すことがないように、平和のために心して祈りましょう。
『私たちの神【主】の家のために私はあなたの幸いを祈り求めよう。』

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8月4日(日)午前10時~11時30分 ウェルカム礼拝

「健全な自己肯定感」
イザヤ41章1~7節

だが今、【主】はこう言われる。ヤコブよ、あなたを創造した方、イスラエルよ、あなたを形造った方が。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったからだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたは、わたしのもの。・・・わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。(1,4節)

日本の子どもの「自己肯定感」は、かなり低いという内閣府の調査結果が出ています。(2014年度版「子ども・若者白書」)その理由の一つに、日本の子どもたちは、大人から(良い学校に行くよう)期待を掛けられすぎて、自由にのびのびと育てられるより、何かと強制されることが多く、その結果、自分の個性が認められず、自分が評価されていないという感覚を抱くケースが多いからではないかと、ある教育学者は、指摘しています。もっと、あたたかい目で見守り、個性を尊重し、ほほえみをもって育てられたら、自分に自信が持て、その人オリジナルの人生を歩めるようになるのではないかと思います。

自分で自分をどう見るかをセルフイメージと言います。「わたしは、ダメな人間だ。」と劣等感に苦しむ人は少なくありません。競争社会にあって、人との優劣だけが、自己評価の基準となってしまっているのかもしれません。聖書の中で、神さまは「わたしの目には、あなたは高価で尊い」と宣言しています。なぜなら、全ての人は、神によって造られたからです。しかも、「ご自身のかたち(人格)」に似せて造られたというのです。人は皆、神に愛されていています。

人は、神から離れ、自分勝手な道を歩み、その結果、自分の価値を見失ってしまいました。しかし、主イエス・キリストは十字架で、ご自分のいのちを代価として、罪の中に苦しんでいた私達を、神のゆるしといつくしみの中に、買い戻してくださいました。これを「贖い」と言います。主に贖われた人は、自分が神に愛され、それ故に、自分にも相手にも、尊い価値があることを取り戻して行きます。健全な「自己肯定感」の根拠は、主イエスキリストの十字架にあるのです。

☆どうぞ、ウエルカム礼拝においでください。
☆賛美歌、聖書は、備え付けてあります。
☆クリスチャンの体験談があります。
☆席上献金がありますが、すべて任意です。
☆皆さんを歓迎します。

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7月28日(日)午前10時~11時30分 主日礼拝

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「人には負うべき自分の十字架がある」
マルコの福音書8章31~37節

「だれでもわたしに従って来たければ、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音のためにいのちを失う者は、それを救うのです。 人は、たとえ全世界を手に入れても、自分のいのちを失ったら、何の益があるでしょうか。 自分のいのちを買い戻すのに、人はいったい何を差し出せばよいのでしょうか。」

「隣の芝生は青く見える」と言われます。生きることがしんどく感じる時、他の人の人生が楽しそうに見え、うらやましいと思うことがるかもしれません。もし羽があったら、別のところに飛んで行きたいと思う時があるかもしれません。しかし、聖書は、人には、それぞれ「負うべ自分の十字架がある」と言います。「出来るだけ楽をして生きたい。」これは、人間の本性なのでしょうか。しかし、イエス様は、そこには「いのちの輝きはない。」と仰います。人生の本当の満足は、神が背負わせてくださる「自分の十字架」を負って、主に従って行くときにのみ得られるというのです。これは、逆説的な真理です。

「だれでもわたしに従って来たければ、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。」もし「自分の十字架は重過ぎる。疲れてしまった。」と感じることがあったら、主イエスの十字架のともに行き、荷をおろして休みましょう。主イエスの十字架のもとにだけ、重荷を下ろすことができます、イエスさまは、私たちの疲れを癒し、重荷を再調整し、背負わせてくださいます。イエス様が負わせてくださる「くびき」は負いやすく、その荷は軽いのです。狭い小道を辿る身であっても、感謝と喜びにあふれた人生を行くことができます。

☆礼拝に、どうぞ、おいでください。

⇒8月15日・北海道ポプラ聖会申込受付中です。涼しい北海道で、み言葉の恵みに与りませんか。旅の途中参加も歓迎いたします。

 

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7月21日(日)午前10時~11時30分 主日礼拝

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Fire from Heaven
Luke9:51-56
Preached by Zach Matt WGM missonary

さて、天に上げられる日が近づいて来たころのことであった。イエスは御顔をエルサレムに向け、毅然として進んで行かれた。
そして、ご自分の前に使いを送り出された。彼らは行ってサマリア人の村に入り、イエスのために備えをした。
しかし、イエスが御顔をエルサレムに向けて進んでおられたので、サマリア人はイエスを受け入れなかった。
弟子のヤコブとヨハネが、これを見て言った。「主よ。私たちが天から火を下して、彼らを焼き滅ぼしましょうか。」
しかし、イエスは振り向いて二人を叱られた。
そして一行は別の村に行った。

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7月14日(日)午前10時~11時30分 主日礼拝

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「道を教えてください」
詩篇25篇

「【主】を恐れる人はだれか。主はその人に選ぶべき道をお教えになる。
その人のたましいは幸せの中に宿りその子孫は地を受け継ぐ。」
(12,13節)

旅行を計画するとき、「どこへ行こうか」「宿をどうしようか」イメージが広がり、楽しいものですね。旅に出るときには、目的地までの道順、移動手段、費用などを予め調べておきます。自動車で異動するなら、カーナビに目的地を設定するでしょうし、電車やバス移動なら、スマホのアプリで検索して、最適なルートを調べておくでしょう。そうでないと、道を間違えたり、迷った挙句、時間切れなんて、せっかくの旅が台無しになってしまう危険もあります。何よりも、この道で良いのか、ちゃんと目的地に着くのか不安で、旅を楽しむどころではありません。

私達の人生も同じではないでしょうか。人生の全行程を見通すことは出来ませんが、日々「道を教えてください。」と神に祈りながら、聖書を人生のナビとして歩んで行くなら、様々な試練、困難を通ることはあっても、一足一足、平安のうちに導かれて行くことが出来ます。「道を教えてくだささい。」という、神の前に「聴く心」が鍵だと思います。神さまは、私達に「選ぶべき道」を教えてくださり、聖霊が、私たちの人生の同伴者となり、共に歩んでくださいます。特に、人生の節目においては、よーく心を澄ませて、神に聞くことが、大事なことではないかと思います。

★午後は、スモールグループと組会があります。

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7月7日(日)午前10時~11時30分 ウエルカム礼拝

「良くなりたいか」
ヨハネの福音書5章1~9節

イエスは彼が横になっているのを見て、すでに長い間そうしていることを知ると、彼に言われた。「良くなりたいか。」 病人は答えた。「主よ。水がかき回されたとき、池の中に入れてくれる人がいません。行きかけると、ほかの人が先に下りて行きます。」 イエスは彼に言われた。「起きて床を取り上げ、歩きなさい。」 すると、すぐにその人は治って、床を取り上げて歩き出した。(5:5~9)

 主イエスは、38年もの間、自分の足で立つことができなかった人に向かって「良くなりたいか」とお尋ねになりました。一般常識的には、これは、残酷な言葉かもしれません。しかし、主イエスの言葉には、不思議な力がありました。そう言われた人は、半分諦めかけていたようです。「これまでもどうにもならなかったのだ。今更、どうなるというのだ。」しかし、主イエスから「良くなりたいか」と問われたとき、心の中に、ふつふつと「良くなりたい」という思いがわいてきました。彼は、それまで、間違ったところに、解決を求めていました。また、誰も、助けてくれないことを、恨みがましく思っていました。

 しかし、主イエスは、彼に「起きて床を取り上げ、(自分の足で立って)歩きなさい。」と命じました。彼は、主イエスの言葉に従いました。すると、すぐに自分の足で立ち上がって、歩き出したのです。どんなに長い間、失望の中に横たわっていたとしても、救い主イエスの言葉に従ってみると、人生を自分の足で歩き始めることができるのです。彼の喜びは、どんなに大きかったことでしょう。「誰も助けてくれない」と、人のせいにしていないで、主のみ言葉に従って、自分の足で歩き始めればよいのです。主イエスの言葉には、力があります。「良くなりたいか」現代に生きる、私たちにも、主は語り掛けておられます。

★ウエルカム礼拝です。救いの体験談があります。
★聖書も、讃美歌も備え付けてあります。どうぞ、礼拝にいらしてくみてください。

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6月30日(日)午前10時~11時30分 上半期感謝礼拝・聖餐式

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「ここは天の門だ」
 創世記28章10~22節
16-17節 ヤコブは眠りから覚めて、言った。「まことに【主】はこの場所におられる。それなのに、私はそれを知らなかった。」 彼は恐れて言った。「この場所は、なんと恐れ多いところだろう。ここは神の家にほかならない。ここは天の門だ。」

2019年上半期を締めくくる礼拝です。

 私達の人生は、旅に例えられますが、この創世記の箇所は、ヤコブが、ベエル・シェバからハランに向かう途中、べテルで体験した出来事です。ヤコブは、神の祝福にとても貪欲で、勢い余って、兄エサウの分まで、だまし取ってしまいます。ヤコブは、兄の怒りを買い、父の家を出て行かなければならなくなりました。人生初の一人旅、きっと、心細かったに違いありません。しかし、ヤコブは旅の途中、不思議な体験をします。神さまが、幻で「わたしは、あなたを捨てない。わたしは、あなたと共にいて、あなたを守り、必ず連れ戻す」と約束してくださったのです。ヤコブは、神が共にいてくだるということを、人生で初めて知りました。

 人の霊的成長は「気づきと悟り」から始まると言われます。しばしば人は、孤独と不安の中で「まことの光」を見つけます。それは、魂がかわき、心が天に向かって開かれているからなのでしょう。人生の最初から、神は共におられます。しかし、それに気づかずに、ずーっと過ごして来ました。一人となり、他の助けが閉ざされたとき、天が開かれ、希望の光が差し込みました。彼は、このべテルでの経験を記念して「ここは天の門だ。」と言いました。

私達の2019年上半期の歩みを振り返えって、如何でしょうか。これまでの出来事の中に、「主が共におられた。」跡が見いすことができるのではないでしょうか。そこにある「神の恵み」に気づく。それによって、私達は、新しく力を受け、前に向かって歩んで行くのです。上半期の主の御守りに、心一杯感謝をささげましょう。聖餐式が持たれます。

⇒7月6日(土)はJOYJOYキャンプです。

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6月23日(日)午前10時~11時30分 主日礼拝

「御霊による魂の自由」
Ⅱコリント3章6~18節

「主は御霊です。そして、主の御霊がおられるところには自由があります。 私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」(17,18節)

 

キリスト者は、自由を与えられるために召されました。キリスト者の自由は、地上のどんな宝よりも価値があります。一度、この「魂の自由」を味わったことがある人は、「それを失うくらいなら、生きる意味がない」とさえ思うでしょう。この「魂の自由」は、罪と死の束縛からの自由であり、キリストの似姿へと変えられて行く自由です。神の慈しみと、愛の中に、永遠のいのちを謳歌して行くのです。誰も、どんな束縛も、この自由を奪うことはできません。ぜひ、この御霊による魂の自由をエンジョイして行きましょう。

☆礼拝の中で、岩渕まことさんが、数曲賛美をしてくださいます。
☆午後のコンサートは、午後2時からです。ぜひ、いらしてください。

 

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6月19日(日)午前10時~11時30分 主日礼拝

「生きててくれてありがとう」
使徒16:16〜34
16:31 二人は言った。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」
16:32 そして、彼と彼の家にいる者全員に、主のことばを語った。
16:33 看守はその夜、時を移さず二人を引き取り、打ち傷を洗った。そして、彼とその家の者全員が、すぐにバプテスマを受けた。
16:34 それから二人を家に案内して、食事のもてなしをし、神を信じたことを全家族とともに心から喜んだ。

*礼拝メッセージは、伊藤安司伝道師です。
(川嶋牧師は、八王子教会での御用です)

6月23日は、岩渕まこと・由美子父の日コンサートです。
どうぞ、おいでください。

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