4月7日(日)午前10時~11時30分 ウエルカム礼拝

「世界で最も大きな愛」
 ヨハネ15:13~17

「 人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」

人は、誰でも死を迎えます。必ず迎える「死」に対して、備えを持っておられるでしょうか。

人の死(死に方)は、幾つかのパターンにカテゴライズできると思います。最も自然なのは、寿命を全うして死を迎えることです。かの偉大なモーセは、人の寿命についてこう述べています。「私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。そのほとんどは労苦とわざわいです。瞬く間に時は過ぎ私たちは飛び去ります。」(詩 90:10) 聖書は、人の齢は120年がマックスだと述べています。(創世記9:3)
 なかには、若くして事故や病気で亡くなる人もいます。幼子や愛する人を、事故や病気で亡くした人の悲しみは、いかばかりでしょうか。あるいは、自分で自分のいのちを断つ「自死」もあります。「自死」は、余りの失望落胆やショックで、正常な判断が出来なくなってしまった故かもしれません。
 それらの死とは別に、聖書は「友のためにいのちを捨てる」死があると言います。友や家族を救うために、自分が犠牲となるのです。この死は、百パーセント自発的なものであり、自分が犠牲になっても、愛する者を助けたいという動機から出たものです。親が愛する我が子のために、自分のいのちを犠牲にするということがあるかもしれません。しかし、何の関係もない人や、愛する価値を感じない人の為に、そんなことをする人はいません。
 しかし、イエスキリストは、全ての人-敵に対してさえー「友のためにいのちを捨てるほどの愛」を示されました。イエス・キリストの十字架に、その愛が示されています。イエスさまは、本来私たちが受けるべき罪の罰を、私たちに代わって、受けて下さいました。何の取柄もない者の為に、友となって下さいました。「ここに、愛がある。」と聖書は言います。このキリストの愛を受け入れ、友となりませんか。それが、死に対する備えだと聖書は教えています。
 どうぞ、教会にいらしてください。そして、イエス・キリストを知って下さい。

☆救いの体験談があります。
☆聖書、讃美歌は、備えつけてあります。
☆礼拝の中で、席上献金がありますが、すべて任意・ご自由です。
☆ウエルカム礼拝ですので、遠慮なくおいでください。お待ちしています。

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