謝恩日礼拝 「忍耐の結末」
ヤコブ5:11 見なさい。耐え忍んだ人たちは幸いだと私たちは思います。あなたがたはヨブの忍耐のことを聞き、主によるその結末を知っています。主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられます。
旧約聖書に登場してくるヨブは、神を敬う敬虔な人でした。ところが、ある日、突然、試練に襲われます。愛する子どもたちが殺され、財産を失い、自分も訳の分からない病気にかかってしまいます。いきなり、試練の中に放り込まれたヨブに、奥さんは、「あなたは、これでもなお、自分の誠実さを堅く保とうとしているのですか。神を呪って死になさい。」(ヨブ記2:9)と、冷たく突き放します。きっと奥さんは、試練に耐えられず、自暴自棄になっていたのではないかと思います。しかし、ヨブは、それでも、「私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいも受けるべきではないか。」と言って、神を信じ続けました。
ヨブは、苦悩を味わいながらも、信仰にとどまり続けました。試練の中にあるヨブのところに、友人たちがやってきて、「試練の意味」について議論します。励ますつもりが、いつの間にか議論となって行きます。いくら正論を言われても、ヨブの心は、慰められません。しかし、実は、ヨブは、この試練を通して、神の深い憐みと大能の力を知り、すべてを神にゆだねることを学んで行ったのです。忍耐を通して、ヨブ自身が変わりました。ヨブは、自分を攻撃した友のために祈ることができるほど、心にゆとりが与えられました。
ヨブ記の結論はこうです。
42:10 ヨブがその友人たちのために祈ったとき、【主】はヨブを元どおりにされた。さらに【主】はヨブの財産をすべて、二倍にされた。
42:12 【主】はヨブの後の半生を前の半生に増して祝福された。。
42:16 この後ヨブは百四十年生き、自分の子と、その子の子たちを四代目まで見た。
42:17 こうしてヨブは死んだ。年老いて満ち足りた生涯であった。
「忍耐の結末」それは、神の慈しみ深さを知ること。それが、現実に明らかにされることです。「忍耐」とは、苦痛を我慢することではありません。聖書的に言えば、どんな状況でも、主イエスキリストを信じる信仰にとどまり続けることです。忍耐とは、受け身の姿勢で、じっと我慢することではなく、神に祈り、祈りの中で、神の慈しみを知り、神を賛美することです。神が通してくださる忍耐の学校は、その時は、辛く感じるものですが、やがて「平安の義の実」(へブル12:11)という、何者にも代え難い賜物を得ることになるのです。
☆謝恩日の礼拝です。聖餐式があります。
☆ご高齢の兄弟姉妹のために、更なる祝福を祈ります。ささやかな祝の品を用意しています。
☆礼拝献金は、引退された牧師たちの厚生資金献金となります。
☆午後1:30から、「おはなカフェ」がひらかれます。
☆齋藤マスターの美味しいコーヒーと、古舘シェフのザッハ・トルテを用意してお待ちしています。
☆楽しい聖書クイズがあります。
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